大陸眼形成2
東や西と云うけれど・・・
ユーラシアに生きることへの共感力を強化しようとするとき、押さえるべき点があることは間違いないでしょう。ではその点とは何か?このテーマはブログの大事な目的の一つでありますから、今回も紐解きを始めたいと思います。
読者の中には、『ひょっとして世界史か、、、」と予見された方もいるかと思いますが、決して高校世界史が抱かせるイメージと混同なさらないことをお奨めします。
さて、使い尽くされた言葉としての、”西洋”、そして”東洋”。はたと、その実態に想いを遣ることは少ないことでありましょう。そこで、この厳密な定義から入りたいと思います。その為のせめてもの必須ツールは、世界歴史地図です。その理由は、大陸の場所 地名 領域 時代 事件 等を時系列+二次元でマッピングしてゆくことが最有効だからです。
『果たして、何が西洋で何が東洋なのでしょうか?』
存在なくして作用なし、とした時にはまず通らねばなりません。
α 地理上の基準
バルカン半島以東 = 東
バルカン半島以西 = 西
β 典型的ラテン語表記
東方(東洋) = オリエント(日が昇る方角)
西方(西洋) = オチデント(日が没する方角)
γ 解釈と見識刷新
αβを解釈すると、古代ローマを中心とした地中海に暮らす人々にとって、オリエントは太陽が昇ってくる方角である、と同時にあらゆる文明化のキッカケを伝えてくれる・・・正にオリエンテーションであった訳であります。逆に回れ右をして、我が同胞を見れば、オチデントのそれは太陽が沈む方角であると同時に、文明を享受するのみの地域であった訳であります。少なくともそこには、水が低きに流れるように、オリエントへの羨望の念が働いていたでありましょう。「全ては東方より来る」、誇らしく感ずるのは私だけでしょうか。
唯一残る重要点は、東と西を分ける線をどこに引けるか、という問題です。CAの視点から申せば、その答えは前述の通りギリシャをオリエントに含めることになります。意外に思われる方もあるでしょうが、ギリシャとオリエント域の交流史を積めば積むほどに、そうせざるをえないのが実情です。この辺りの詳しい解説は別の機会にさせていただきます。
ここまで来ますと、皆さんの東西認識に刷新が起き始めているのではないでしょうか?今まで、東洋と称して何を思い浮かべていたでしょうか、東洋医学と言って何を当てていたでしょうか。この史実を識ったからには、少なくとも遥かバルカン半島までの世界に眼を向けてゆく必要が出てきた訳です。バルカン半島 小アジア エジプト 中東 インダス 中華・・・。これら全てが東洋に組するのです。さあ、一見の日本的常識が覆されつつある今、西洋と東洋をどのように使い分けて行きましょうか?