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ヒトの変化/進歩/発展現象に傾いて久しいですが、その絶対的なエネルギー源泉は、認識と言語 を置いて見当たりません。掘り起こせば議論紛糾になるかもしれませんが、人間性の基盤であることを診れば揺るがないと想われます。今までにも話し、書いて来ている中で、言葉の世界を具体的に紹介したいと思います。日々、当たり前のように交信道具として使い、記号として利用する生活では、その効力をあらためて実感する機会は限りなく希薄になります。しかし、その原点や究極臨床の場に於いては、際立って感じられることは確かです。例示すると、原始世界のトーテム、中華の漢字成立、エジプトのロゼッタストーン、暗号機「紫」等、とてもとても尽くせない広大さであります。また、我々の足元を見れば、生死を賭した戦陣訓 などは忘れてはならない史実だと思います。
異、コーチング行為における言語は、非言語の効力と融合しながらも、最重要テーマと言えるでしょう。では、何故そうなのか?どうしてヒトは、言葉で動くのか? 果たして、皆さんはどう考えますか? 当然に様々な意見が用意されると思いますが、CAからの提案は以下に集約させています。それは、
『基準を求めるのが、ヒトの性である。』
という表現です。限りない自由度と可能性の裏腹に、存在の不確実性を同居させており、常に定位(基準)を求めるものである。故に、そこを満足させることが、広がるエネルギーを収縮させる最有効なる方法である、、、、。やや硬い説明ではありますが、主旨は含んでいます。文中、定位(基準)と書いたことに、言語がはまる訳です。一見、記号的なようですが、そこに人間的理解と認識、意味と価値が付帯したとき、潜在するエネルギーが注がれることになります。この辺り、フロイト世界での言語解釈が大いに後押ししています。