裏のオリンピック「ワールド・ノマド・ゲームス」
古代オリンピック史1100年/近代オリンピック史125年の歴史の中でも、誠に稀有かつ重篤な開催障害を被っている日本国であります。その国際的開催意図は、古代~近代~現代と大きく様変わりして来ており、今に至っては完全なる「商業パフォーマンス大会」と化しています。こういった思想の動きは、そのままスポーツ文化の未来像を現し、創る身体観の背景を成してゆくものと感じています。国内特化で診るならば、”スポーツ道”から、”パフォーマンスライフ”への転換時期を迎え、取り組む側の意識や支援する側の態勢も変わりました。奇しくも、日本体育協会が、日本スポーツ協会へ改名したことも重なり、国家・国民共に準備OKであったところでのコロナ禍です。様々なる視点や意向の渦は承知しますが、単純に、一つピリオドを打つ、という意味での最低限開催は認めたい人間です。
このオリンピック自体、欧州圏の文化慣習が出自であり、掘ればその重層性は枚挙に暇がありません。運動大会を開いて集団の意気を上げることは、いつの世もどんな地域でも行われて来ましたが、それはオリンピックに限らず、英国のコモンウェルス(※継続中)/ロシアのスパルタキアード/極東選手権(※日本参加)等は、最たる歴史と言えるでしょう。そしてその全てが、経済と思想(※宗教含む)に演出されるという実態は変わることはありません。日々の埋没環境ではなかなか持てない視点かもしれませんが、オリンピックとした時こそ、再認識機会だと思います。
今回にご紹介したい内容は、表題にも掲げました『ワールド・ノマド・ゲームス』であります。以下、wikiの添付です。
国際遊牧民競技大会(こくさいゆうぼくみんきょうぎたいかい、キルギス語: Дүйнөлүк көчмөндөр оюндары、英語: World Nomad Games)、ワールド・ノマド・ゲームズは[1]、中央アジアで行われるエスニックスポーツに特化した国際的なスポーツコンテスト。参加国は、キルギス、カザフスタン、アゼルバイジャン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタン、ロシア連邦(特にサハ共和国、ブリヤート共和国、アルタイ共和国、カルムイク共和国、バシコルトスタン共和国など)の旧ソビエト連邦構成共和国や、モンゴル、トルコ、アフガニスタン、フィリピン[2]、アメリカ合衆国が挙げられる[3]。伝統競技の保存と観光事業の促進を目指して開催されている。
上記のとおり、中央アジア伝統文化競技会であり、2年に1度、各地持ち回りで行われています。種目は、大陸遊牧生活で必要とされるあらゆる術が採用されており、馬/格闘/弓が中心になっています。その一つ一つを丹念に診れば、大陸で生きる姿が如実に感じられると同時に、近代スポーツ種目の原形も多く散見されます。また、中央アジアは、現代に繋がる文化文明の東西交流を支えたシルクロードの舞台でありますし、有史最大の世界帝国を成した元(:モンゴル)の母なる大地なのです。今でこそ、先進国家群に押されており、勢い「裏」と書いてしまいましたが、人類史上では「表」であった時代も長かった地域です。当然に我々日本人への影響も、陰に陽に染み渡っているのです。その意味で申せば、スポーツ・体育の歴史を世界的に捉えようとするならば、一大エリアとしてその材を認識してゆく必要があります。しかし過去から今までに於いて、欧州圏への傾倒ばかりで、この地域の文化の輸入は欠損状態とも言えるでしょう。唯一、現日体大理事長である”松浪健四郎”氏が手掛けていますが、志半ばなのかもしれません。今回ワールドノマドゲームスをご紹介した意図は、そこへの啓蒙も含めてのことです。
総じて、「人類史とその身体観の歴史変遷」なるテーマを掲げ、その深奥に迫ろうとするには、少なくとも、欧州圏/中央アジア(※ロシア論は残る)/インド/中華/日本/アメリカ の6エリアを視野に入れることをお伝えしたいと思います。その豊富な視点は、指導感性を大幅に飛躍させる筈です。