プロモート

 戦略/戦術/戦技は、まさにコーチの職性ですが、忘れてならないのは「プロモーター:促進/昇進/発起としての認識と介入でありましょう。特に、現今の”ゲームパフォーマンス”を云々する時代の中で、旧態依然とした仏教修行を想わせるような行程強制は、適切とは言い難いのです。日本の近代スポーツは、虚構武士道を背景に、忍耐 品行方正 謙虚 誠実 といった精神性を引きづらされていますし、一見、軍事訓練かと見まがう光景も日常です。その真相は、忍の先の大願成就が期待されてのことであろうと推察されます。戦後、プロスポーツ(他領域も含む)が市民権を得て後、変わりつつあることは事実ですが、肝の部分はそのままと言って良いでしょう。何故か、世論もその性状を求めているような節が見られるところなどは、重層性を感じさせられます。

 そのような文化において、プロモーター と言えば非難轟轟なのかもしれませんが、ヒトの生物としての変化進歩発展特性をつぶさに洞察するにつけ、その必要性と有効性が滲み出て来ます。直接的に言いますと、「ヒトが、選んだ世界で自覚的に自己投入し、精神陶冶と動物性エネルギーの調整を適切に行い、自己流形成の域に達する支援、導引行為」の表現が、遠からずの含意です。更に煮崩すならば、2点に集約されると想われます。

 その1点目は、以前のブログで書いた ”自分を騙す” ことであり、精神陶冶そのままになります。どんな自己にも成り得る中で、どの面相にペルソナしてゆくのか、そのペルソナをどう創造させるのか、が最も重要なプロモートであります。ペルソナの自覚的創造のために、どんな方法を用いることが出来るのか、プロモーターの力の見せ所になります。一つのヒントは、「命名」です。命名は、自己認識を左右しつつも、周辺への威力行使にも繋がり、戦術論にも昇華することになってきます。学術で言えば、少なくとも、フロイト世界を置いて説明は不可能だと思います。

 2点目は、動物性エネルギーの調整 であり、魅せる・見せる・観られる前提の人生は、そのまま動物世界の性描写感性を抜きにしては、全くに語れないと言っても過言ではありません。この領域は、生きる根源ではあるものの、日本的タブーの覆いが重く圧し掛かっています。ここへのメスは、現場での有効性を手掛かりに刺入されてゆくことしか期待されませんので、まさにこれからの仕事と感じられます。単刀直入で言えば、性問題への効果的対処 であり、動物最大のエネルギーを抑圧することなく、パフォーマンスに生きる方向へ運用する仕方、なのです。

 総じた認識、見識のあるプロモーターは、今こそ必要とされています。

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