トレーニング論 5つの視点➊

 現代に於けるパンとサーカスともできる近代スポーツではありますが、この文化は”宗教に代わるスポーツ信仰”と言えるかもしれません。メディアを観れば、スポーツニュース スポーツ新聞 スポーツ番組 スポーツ雑誌 等、枚挙にいとまがない程です。必要以上の思想性を帯びないエネルギー放出と、付帯的に生ずる健全イメージは、為政者にとっての格好の対象でありましょう。世が、国民教育としての体育から、スポーツ信仰へシフトした姿を診つつ、文化・科学??領域として抱える問題性と課題性を、運動学習/トレーニング科学にまつわって、5つの私見として書こうと思います。

➊ 領域としての未成熟

 スポーツ文化自体、暗黙知に存するものでありますから、その構造を形式知に表すことが限りなく難しいことは間違いありません。しかし、その轍を嘘でも踏まない限りに於いては、日本を含めた業界の更なる発展とレゾンデードルは生まれえないと想われます。学術・文化領域の成熟と進歩は、関わる人間の数はさることながら、専門用語に代表される共通認識が構築、確保されることが必須条件になります。難解な論理学で言うならば、「存在論」に属することで、ある現象の有無を、関わる皆が同じ視点で認め合い、同じ呼称を使ったとき、初めて業界共通の議論と運用の対象になり得るのです。議論と運用が盛んになれば、モノは発酵を早めることになります。この事に関して、『専門用語は厳然とあるではないですか!』と言われそうではありますが、実態は、多くが他の既存学術領域からの借り物用語である訳です。その意味で診れば、スポーツ文化は未だ不毛状態と言えるでしょう。逆に言えば、決まりや枠組みが無い分、自由に言い放題ということが可能であります。未成熟で自由だから良い、とも出来るかもしれませんが、スポーツビジネスのみに依存しない文化学術での成熟と、社会的存在意義・価値を明確化する為には、教育機関での身体教育の再構築と、それを支える専門概念と用語の構築が欠かせない仕事になっています。同じ暗黙知領域である”音楽界”は、少なくともこのポイントはクリアしているゆえの、文化度の高さを示しているのです。

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