変化-進歩-発展の法則

いきなりの結論じみた表題を書きましたが、相応の確証を持ってのことであります。

 ヒトを含めた生命現象の根幹が、『動きと変化』であることに異論は無いと思われます。
古来より、その仕組みと法則を識ることが、知の中核テーマであり続けていますし、それは今も変わりません。
時代の為政者は、そこからの英知を治世に活かし、我が世の春を詠う訳です。
言うならば、時間と空間を支配する為です。我々が日々に耳にする”時報”も、そういうことになっています。

 世界的に診た、その2大拠点が、ご存知の中華とギリシャでありましょう。春秋戦国期に起きた諸子百家はその最たる財でありますし、当然に我々の足元に潜む、日本文化への影響・浸透度合いは、掘れば掘るほど、ドップリということになっています。その領域は、暦 医術 言語 規範 文化 芸術 武術 等、生活の全てに渡ります。いわゆる、”礎”であり、”母”とも出来ると思います。ですから、日本を日本人を識ろうとする手掛かりの大きな部分は、そこにあります。輸入プロセスの中で、変性や編曲は為されたにせよ、原点を知ることは大事な一歩になるわけですから、我々も浴することになります。そして、その諸子百家の奥に坐するのは、どうみても『易経』以外にはありません。この難解さは一生モノにはなりますが、戯れるように付き合ってゆくことになるでしょう。

 易経の実態は、今回のテーマに挙げた『変化-進歩-発展の法則』の普遍性を、論理的に表現した人類最大の成果である、と言っても良いと考えています。一般には、筮竹を使ってやる占いの類、との認識が強いとは思いますが、決してその枠では収まることではありません。このように紹介する意味は、唯一そこにあります。『易』という漢字、ぜひ解字してみてください。一部ここで書きますと、【カメレオンのような自在な色調変化の様相のこと】と解されています。正に、”変化の仕組み”の解説文なのです。少なくとも、変化には規則性や法則性が存在し、それを識り活用することの意味は大きい、という人類的首実検の歴史なのだとも感じています。生死を賭した日々に生きる人間の英知ですから、言わずもがなでしょう。

 更に申せば、易の視点は天体観測が基盤ですので、地球の自転・公転と星座解釈が中心になります。人間的には極大視点ですし、大局、鳥瞰の態度、です。そうなのです!易が示すとおり、まずは感覚を拡大すること、に尽きる訳です。変化-進歩-発展の法則に則り、自己のルネサンスを果たす為の第一歩は、どうしても拡がる努力が必要になります。そこには追随して、リズムと運動性が必然に現れて来ます。これすらも、自然現象なのです。ですから、その解かれる法則は、自然の仕組み、なのです。

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