ヒューマニエンス「”パンデミックと人類”科学者からのメッセージ」を視て

 人類歴代のパンデミックを考えても、現在禍の新型コロナ感染症は、歴史に残る惨事として記憶されるでしょう。特に、国際間移動が日常化した文明社会での恐ろしさは、過去に経験のないものであり、ここで露呈された問題は克服後の認識や仕組みを大きく変えることになります。国内でも市民権を得た表現として、『新しい生活様式…』なるものがありますが、そのレベルの抽象ではなく、より具体に考えてみようとのテーマが今回です。ミクロにフォーカスすれば、ウィルスと生命の共存性・人類医学勃興圧となった感染症 と、益もありあまりにも身近でもあることが、畏怖対象にもなる実態を、あらためてどう捉え、適切に恐れてゆくか、せめて賢明になりたいと思います。

α ふれあい欠如

 『物質より知が勝る時代』の到来の象徴こそは、”デジタルテクノロジー”でありましょう。このもたらす利便性は、空間論も巻き込みながら脱兎の勢いです。今回、コロナ禍がそこに加勢され、”非接触社会”が形を現しつつあります。もちろん、意義としての感染リスク排除/移動負担軽減 等は理解されながらも、人間実態としての”アナログ性”も同時に露わになって来ています。必ず例示される『ホスピタリティと育児』実験結果の如実さは、肌感覚の全人的重要性を際立たせます。ここで考えたいことは、脚下照顧、人間の文化文明を創造して来ている始原が唯一”肌感覚”である事実を踏まえるとき、適切なバランスを維持すること以外に余地はないように感じています。

β 言葉の限界

 上記αと絡みながら、インターネットの創る遠隔社会における”言語の有効性と限界性”を考えています。ここで中核に据えられるべき認識は、ヒトの発生よりこの方、非言語コミュニケーション時代が99%を占めている、という事実です。このことは、文明を見出した記号・言語・数字の効力は疑えないものの、それらを促した言語以前の身体表現と接触の影響は、無意識に埋没しながらも変わらずに大きいことを気付かせてくれます。云うならば、メール・line・Twitter・絵文字交換へ依存による繋がりの錯覚/デジタル情報への接触で満足される、偽りの参加欲求/自ら考え案出する知的姿勢の放棄 等、記号のやり取りで終始することは、人間を退化へ導きうると同時に、インターネット社会の功罪として十分に踏まえておかなくてはなりません。

※ネットネイティブ世代がどのような進み方をするのか、人類の首実検へ突入です

γ 罰のエスカレーション

 コロナ禍の社会生活で噴出した、『自粛警察』なる行為をどう捉えようとするのか、様々なる意見や言葉が飛び交いました。中でも、秩序維持・正義感・恐怖心 あたりが番組としての落としだったのだと感じています。自身が拾った部分は、脳機能への介入実験でした。内容は、やりとり視聴により賦活する”島皮質”と共鳴感情/言語情報の付加による納得と快により賦活する”側坐核” の変換結果が示されました。まさに、言語が場を変えることの実証であり、上記の有効性に属する認識です。しかし論議は、それらを含めてこれからです。自粛警察を視て感じたことは、ドイツのホロコーストを導いた、ユダヤというスケープゴートによる自己正当化との近似性で、納得と快に反応する側坐核が一部説明するかもしれません。輪をかけて、ヒトラーのパフォーマンスや底辺に流れるドイツの民族性もトリガーになっていることも見逃しません。ですが日本の場合は、こういった質の現象が、誰の指示・指導もなく、自然発生で生じるのです。これこそは脅威であり、「世界最高度に引き上がった民度国家」と診られる最大要因となっています。

δ 孤食の落とし穴

 やはり生まれた造語である「黙食」の問題性を論じていました。食事行為、または味への集中と協調性・楽しさの相関を言いつつ、食の人間的意味を確認させようと編まれていたようです。個人的には、この論調に傾くことは出来ませんでした。その心は、世界的にも、先進国のみで享受される戦後の飽食期を迎えて後に、平和と安定を得た場のみで言える現象である故です。日本は幸い、民族の底力を結集させて、令和の安寧を暮らしていますが、77年前までは餓えていたのです。餓え、飢餓、ひもじさの中では、誰とであろうと、何であろうと、いつであろうと、食せれば幸であったのです。そういった意味でも、孤食・黙食に対しては、「甘ったれるな!」と言いたいばかりです。

ε イノベーションの出現

 ”必要は創造の母”ですから、コロナ禍なりの技術開発や発見は視られると思います。番組内では、腸換気法(:EVA)なる医療技術が紹介されました。この発端は、ドジョウの水面呼吸行動を観察し、その仕組みを人体に立ち上げる挑戦であります。もしこれが叶うならば、『ヒトのなかの魚 魚のなかのヒト』という進化物語のリアルを見出すことになり、医療技術革新と同時に、ヒト科の解析にも一役買いそうなテーマです。その場が腸であることも、これ見よがしとして押さえたいと思います。ここで言えることは、コロナ禍に関わらず、”ヒトを解明するための、生物・動物研究の重要性”に尽きます。それは遺伝子のミクロ世界だけではなく、ドジョウの観察のようなマクロ研究も含んだことです。観察こそは、アナログ性の真骨頂であることは、デジタル時代のバランス性を物語るのです。

 

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