芸者剣法

 耳慣れない表現かもしれません。含意は、「剣術という古来の技を、見世物として売ることを生業とした、侍の生き様」を揶揄したものです。この事は、江戸末期~明治に始まり、”撃剣興行”の名で実際に行われていました。時代を創った、武士・侍が歴史と共に立場を失う中での、生きる方便であったのです。以降、日本社会から士族は失われたものの、中核たる”武士道・侍精神”は、帝国陸海軍に引き継がれました。そして、武士道が、玉砕・特攻という比類ない悪用に繋がったことは、歴史の示すところです。これらも令和の今となっては、殆ど死語と化してしまいましたが、変わらずに水面下で我々を支える実態を見逃すことは出来ません。最近では、「心技体」なる表現を切欠として、その術性の一端を”近代スポーツ”に応用しようとする動きが視られています。

 古典の復活復古は、民族精神回顧に繋がりますので、大いに歓迎されることであります。しかし同時に、時代性を見紛う危険性も孕むことは認識したいところです。その真意は、「戦いの時代に育まれた、生死を賭した感性を現代人が共感し、追体験することの困難さ」の一言に尽きます。これを象徴する表現を過去に書きましたが、再び出させていただきます。『見切り三寸、修羅一寸』意味するところは、”練習で出来る見切りの最高精度は、三寸までだが、死地を潜り抜けたならば、一寸まで上昇する” です。このヒトの生きる時代背景が醸す、質的差異を捉えることなく、影形のみに注意された武道・武術論では、本質の復古には決して辿り着けないことを書かせていただきます。また、歴史上で言えば、GHQに消された文化財も多数あることも踏まえたいのです。

 総じて言えることは、戦後に残存する武術・武道の全ては、興行前提の芸者剣法に属するものであり、日本古武道の深奥とはかけ離れている実態なのであります。

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