子供の身体能力を磨く視点➊:総論

 第2回東京オリンピック、パラリンピックを終えて、現代スポーツ文化の盤石性を痛いほどに感じさせられています。この事は、余暇の遊びが宗教の代替物を越え、国家・ビジネスと密接化したことが起因しますが、その発達ぶりには目を見張るものがあります。国内に於いては、教育との未だに切れない深縁に支えられていますが、この両輪こそ、日本式ということなのかもしれません。

 今回はそこを担う、子供たちの身体能力を磨く、という視点で書こうと思います。子供たちを取り巻く身体・生活環境は、パフォーマンススポーツに勤しむか、ゲームと漫画に埋没するか、受験戦争に誘導されるか、のどこに所属するかを問われているようであり、実態としては、過度な高体力/健全とは言い難い低体力、の二極化となっています。この実情は、豊かな身体体験は、ヒトの知性・感性・品性を陶冶するに欠かせない土台である、との普遍則からの逸脱を意味しており、憂慮せずにはいられないのは異口同音だと思います。国を支えるのはあくまでも人間でありますから、今一度周到に考え、行動しなくてはなりません。云うところの”身体リテラシー”なる造語は、ここに手を当てる業界キャッチフレーズと理解しますが、「体育」概念が消失し、スポーツに取って代わられる時代の中で、せめてもの寄る辺をどこに求めるのか、誠に難しい舵取りが求められています。滅私奉公 → 親方日の丸 → 〇〇〇 に何が嵌まるのでしょうか? 個人的には、機能性や思想性もさることながら、現今の人類苦であるコロナ感染症に起因する『免疫身体』という価値の立ち上がる足音が聞こえています。

 余談(本音??)が長くなりましたが、以下、表題にまつわる私見になります。

遺伝と環境

早期教育とジュニア育成

タレント発掘

スキャモン発達曲線

運動神経

 と言った用語群が、業界を跋扈しています。ここでは、”科学エビデンス”という虎の威を借ることが多く見受けられ、絶対性と見紛う表現も使われています。しかしここでこそは、注意深さと謙虚さを要するところであり、「自然は測れない」との現状を再認識する必要があるでしょう。少なくとも、”地震予知”の精度向上が達せられたとき、この営みの確度も引き上がると想われます。では何がその起爆剤と成り得るのでしょうか?それこそは、動機であり、問題意識であり、興味関心そのものなのであります。

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