西遊記 から 毛沢東 正

 「全ては、流れのままに」と歴史が申しますように、今回も一つの流れを鳥瞰視してみます。

 おなじみの”西遊記”が如何にして、中華人民共和国を建国した”毛沢東”に繋がるのか?というテーマです。その切欠は、長大なる中国大陸史の流れにおける「:AD618~907」に踏み入ることから始まります。唐は、中国史を診る上でも中核を成す治世になりますが、基盤は李世民(太宗)の「貞観の治」であります。李世民自身、”兄弟殺しの暴君”が相応しい評価ですが、群雄割拠を治め、長い太平の礎を創った功績では、”名君”と言われる所以です。以降、「李」が中心となって進むのですが、人世の常であるアイデンティティ問題がここにも現れます。李一族は、北方系民族であり、中華の地の出自ではありません。やはり全中華を支配統治するに当たり、この問題は大変に大きいことです。因みに、日本の天皇家は、その系譜が現在の126代まで遺伝学で確認できるという意味で、世界的に畏怖の象徴になっていることは事実です。そこで李世民は、当然に、系譜の捏造を為しました。眼を付けたのが、諸子百家で名高い”老子”です。老子の本名は、「李」でありましたので、そのまま、”我が李一族は、道家の始祖 老子 の末裔である”と宣わりました。いわゆる、虎の威 であります。そしてその真実味を演出するため、老荘思想:道教を国教のレベルまで引き上げることになったのです。同時に、この価値観を治世に利用したことは、言うまでもありません。一つの教義と政治を繋げる行為は、稀有であり、匹敵する歴史を診れば、古代ローマ(AD392)の”キリスト教の国教化”に遡ることになりますし、日本で言えば、「鎮護国家」に仏教を用いたことも思い出されます。この公認という勢いを得て、仏教に押されがちであった道家の復活ということになって来ます。この道家思想、現代日本人には一見縁遠いように見られるかもしれませんが、決してそのようなことはなく、実は足元まで沁みて来ています。例示をすれば、江戸期の小石川養生所(映画「赤ひげ」:黒澤明を参照)、道:タオ 気功 丹田 巫女 陰陽五行 〇〇道 等、無意識に親しんでいるものなのです。

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