異口同音

 CAの標榜する、「領域の壁を越える」ことの意味・価値・効力は、少しずつご理解いただけて来ているかもしれません。自身が良く使う表現で、”専門性を引き上げたければ、その領域を出ることである” というのがありますが、これこそ実感を込めて伝えたいことです。一見の設えられたカリキュラムに埋没してしまうことの不幸を想う、今日この頃です。これは一般的に言えば、多角/複眼/学際、などが当たる筈ですが、同テーマに複数人が絡むと難しい、というのが人の世でありまして、意図に反してその進捗発展が遅々とするのが常になります。故に、エネルギーは小さくとも、一個人の中での作業がより確実な道と言えます。よくある典型的感慨として、「全く縁遠く無関係と思われていた世界のことが、最も強い影響を与えた」といったものがありますが、これなどは良い例です。この交雑する力を企図して、そこに突入する訳であります。

 今回の異口同音は、音楽世界に求めます。意図する音楽は、西洋音楽であり、その教育法であります。そこでは、音符 楽譜 リズム ➡ 声楽 楽器 演奏 指揮 が、基本構成であり、約すれば、基準と運用、になります。ここで最も重要なのは、自然界に無限に存在する音波(周波数)の中から、音の基準値を選び出し、絶対普遍なものとして設定し得たことに尽きると感じられています。基準(=枠組み)が出来れば、次はその自在な運用を問う方向へ進めますので、そうなれば盤石な文化領域が創られるのです。比喩的に言えば、音符は、『点』であり、楽譜は、『線』であり、演奏は、『波』である、と出来ると思います。このように解釈してゆくと、何かに収束することを気付く方も多いでしょう。私には、この西洋音楽の世界と、運動学習の世界が、似通っている、いや全くに同じであるようにしか映りません。しかも、音楽世界の先行振りだけが際立っている姿なのです。こういった診え方こそ、領域の壁を越えた、異口同音なのであります。

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