古武「術」「道」研究の世界 Ⅱ
「”古”を何処の対象に据えた事なのか?」議論の開始は、ここの定位から始まるものと思います。多くが、言わずもがなの国内対象の想定で為されていますが、時代背景/考証を踏まえた上での鍛錬法?技能?の話は少ないようです。綿谷雪氏は、その意味での重鎮と言えますが、臨床への具体介入までは手が届いていません。いわゆる歴史家ゆえに、当然ではあります。確かに、歴史自体は幻想性と曖昧さが隠れ蓑ですが、実態とあまりにもかけ離れているようであれば、語り継ぐ意義は無いと、感じます。逆に言えば、時代の壁を乗り越え、そこをどう洞察し再現するか、面白さと醍醐味の在り処だと思います。
しかし、どの民族でも古来の武勇伝は、虚飾して子供に語り継ぐ慣習があり、日本も例外ではありません。これは、ゲルマンのところでも書きましたが、富国強兵と児童文学は密接な関係ゆえ、誇大伝聞を世の常と診るときには、致し方無いことなのでしょう。今手元に、「日本剣客伝」菊池寛著/文芸春秋/昭和2年刊、がありますが、上泉伊勢守から山岡鉄舟までが紹介されています。皆、さも勇ましい説話とともに登場します。男子にすれば、それは”仮面ライダー、ウルトラマン”であり、憧れの的になっていた訳です。その認識のままに成長すれば、過去は武勇に優れた偉人の宝庫、という伝承と、技の巧みさへイメージが残ってゆきます。現代のブームも、この因子が未だに一役買っていると想われます。
いくつか異論を書きます。剣客伝の筆頭と言えば、宮本武蔵ですが、伝聞の誇大性の筆頭とも言えるヒトです。不敗 巌流島 「五輪書」 書画 二刀流 等、多くの逸話をご存知でしょう。しかし、宮本武蔵の実態は、関ケ原以降の時代における”就職浪人”です。兵法者として、禄にありつくには世間を錯覚させるようなPRが必要だった事情は否めません。それらは、努力の足跡と言って良いと思いますが、結局、生涯満足ゆく仕官はならなかったのです。総じて、一般に言われる程の人材であったかどうかは、非常に怪しいというのが調べ尽した結果となっています。特に、戦技と兵法を混同していることは、大いなる汚点と言えます。同時に、戦技に長けた人間が重用されることは殆ど無かった事実も浮かび上がります。
これは蛇足になりますが、「宮本武蔵の二刀流体得の基本教材は何であったか?」。時代性を鑑みながら、是非お考えください。現代の運動学習論に適応する、面白いテーマです。
もう一つ、「武士道」なる言葉と、それに紐づくイメージについてです。これを分解すると、殺傷技能 × 神仏習合 × 学問 = となります。そしてそれは、宮本武蔵同様、侍/武士/士族 の身分上の価値付けをするために、江戸時代に虚構されたイメージなのです。冷静に考えていただければ、殺傷技能と信仰は、一切関係ないことは自明のことと思います。戦いの無い時代の士族の生きるスベであったこと、知ってしまうと拍子抜けかもしれませんが、現代における武道場に神棚があるのは、そういった事情が背景に隠されています。