ゲルマン魂 Ⅴ
ルターの宗教改革によるプロテスタントの出現は、ヨーロッパルネサンスの中でも重要な位置を占めますし、限局的に診れば、ドイツ人意識の発端と言えるかもしれません。それは、”個の誕生”と並行し、そのままVOLK:民族意識の形成、母語の統一、というヨーロッパ近代への道と軸を一にします。あとは、産業革命とフランス革命を待つばかり、、、、と行きたいところですが、話をゲルマンに戻します。
皇帝ナポレオンの台頭とヨーロッパ大陸への侵攻は、隣国である神聖ローマ帝国を大いに揺るがし、結局、帝国消滅(1806年)に至りました。この事は、ドイツ民族精神(ゲルマン魂)形成にとっては、宗教改革に輪をかけて最大の契機となったと言えます。ここに現れるのが、ビスマルクその人であり、彼は、曲折ありながらのローマンシンドロームを引き継ぎ、ドイツ帝国(第二帝国)を建設します。まさに祖国統一を果たす、待望のヒーローでありました。この第二帝国を以って、近代国家成立となった訳で、ゲルマン魂が形になった時代です。体操の始祖ヤーンも、この時期の人間で、『ドイツ国民性』という書籍を出版し民族アイデンティティーを啓蒙しています。特に、”ギムナスティーク”と言わず”トゥルネン”を使った背景は、母語への想いが反映されてのことです。この流れを支えるのは、強いプロシア軍とその生んだ参謀本部と人材があってこそ、であったことはもうお分かりだと思います。しかし良い時代は永く続かないのは、いずこも同じであります。ビスマルク以後、フランス ロシア イタリア に囲まれた地政において、ドイツのレゾンデードルと国土を維持拡張することを引き受ける人材が輩出しえないまま、第一次世界大戦への口火を切ることになってしまいました。ここからが、往復ビンタの始まりです。