ヒューマニエンス「”精子と卵子”過酷な出会いという戦略」を視て

 このテーマ、再放送ではありますが、現代五行に位置する重要領域ゆえ、視聴した感想を書こうと思います。また、前回のIPSと絡む部分もあり、併せて解釈する面白味・深みは外せないところです。

 生殖問題は、五行の➊(:生物学)に括られ、興味関心の意図は、バイオロジカルコレクトネス(生物学上の真実を直視し、真実を見つけ出すこと)という態度に則っています。それは、遺伝的であり無意識でありながらも、人間の行動・行為へ最高の動機とエネルギーとなっていることは、違いありません。三大欲と言えばそれまでかもしれませんが、そこに具体介入することは、認知を取り出そうとする現代ほど、必要な努力と感じています。何故なら、全ては生命記憶の重層性に支えられているのですから……

壱 1億分の1

 この数字は、女性の膣円蓋に射出された精子(:sperm)が受精にいたる可能性を示したものです。この類まれなる受精への希少性は、最も優秀な精子を選別する生命戦略として考えられています。ここで強いられるレースは、18㎝の艱難辛苦の旅路であり、適性チケット所持検査/子宮内泥んこ走り/左か右への賭け/卵管内逆流遠泳/卵子への貫入力、等の障害群が待ち構えています。ゆえに、細胞レベルでいえば、このレースを勝ち抜いた間違いなく選ばれた種なのであり、アイデンティティの始原はここからなのかもしれません。総じて”運と能力”という、延命現象のフラクタルは既に始まっているとも言えるでしょう。ここで一つ思うことは、左右選択という運は外したとき、残る要因は迅速に泳ぎ切る”精子としての運動能力”であること、です。これに現代の認知科学視点を照射するとき、ヒト能力における身体知の意味と価値が浮かび上がって来ます。デジタル時代の身体性を考える、大事な材料になる筈です。

弐 受精卵の大冒険

 優秀な精子が限られた受精期限(24時間)に受精を果たしても、予断は許されません。そこから再び、受精卵の7日間に渡る子宮着床へ向けた”飢餓のサバイバル”が始まります。このプロセスでは、母体にとって半分異物化した物体への免疫危機と、栄養補給のための苦肉の策”オートファジー”期間を乗り越えて、やっとの想いでの着床が果たされます。しかし着床先の胎盤内でも、更に選別されるという実態、巧みかつ凄まじいとしか言いようがありません。これら、壱・弐の行程に介入すべく、様々なる人工環境実験が意図されていますが、卵子確保の限界と倫理課題等で立ち行かない模様です。しかし、ここに一つの可能性を示すものが、前テーマのIPS細胞になっています。

 この子宮着床から、胚葉形成ー分化ー遺伝子発現ー形態形成ー成育ー誕生までを考えれば、その全てが生命記憶の踏襲と視えています。しかも、子宮内羊水という古代の海で為される有性生殖現象は、我々哺乳類の遺伝子存続法の真骨頂であり、続く人生にも深々と影響し続けているのです。人間の無意識衝動や癖、精神性も、この環境で拭えない個性として形成されて行きます

参 始原生殖細胞

 精子または、卵子に変化する母細胞の名称ですが、この始原生殖細胞は、発生の初期段階から他に優先して分化されるという事実です。このことは、言わずもがな、生命の最大最高の存在意義は、「遺伝子の存続と延命であること」を教えています。リチャードドーキンスの云う、”からだは遺伝子の乗り物”という主旨は、にわかに真実味を増すことになるのです。ここから自身が想うことは、欲エネルギーの本命は生殖、続いて食性、最後に睡眠というヒエラルキーで成る、です。さて、このことを捉えて、ヒトの能力開発を如何に再考することが出来るでしょうか?

肆 育メン

 子育てに参加する夫を称した、現代表現です。この問題は、時代を流れる思想性や文明度が大きく影響することですが、少なくとも旧来の日本の封建社会制度下においては、家事・育児は全て女の仕事であった時代が長かったことに違いありません。戦後の制度崩壊は、それらの歴史を崩しながら、男女同権というポリティカルコレクトネス(:PC/政治的に正しいこと)に依拠して、市民権を得つつあるようです。以下、私見です。互助的に仕事分担する精神は大いに歓迎されることではありますが、視点を拡げて視た場合のPCとBCを混同した妙な全般的平等は愚かとも言えるでしょう。元来、雄・雌の機能性と構造性は特異に分化しており、そのことによる役割の分化こそがBC上の平等になるのです。また、ヒト科の社会発生史を開けば、母系制社会が始原であったことも事実です。

伍 タブーからの解放

 ともするとタブー視され、スキャンダルのネタ元であり続ける性世界であります。しかし、人間らしさ/男らしさ/女らしさ、を創り、生命最高の動機である子孫繫栄の場は、そこにしか存在しません。更に云うならば、ヒトは合理性の中だけではとても生きては行けません。それこそが、バランスといい自律神経というのです。当然にヒトとして生物としての正当なる性への事実確認と対処・表現は、社会的に益する行為/行動力を大いに発揮させることになりますこの識見に立った、妥当なる教育はこれからの課題と言えるでしょう。

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