養生術とヘルスフィットネス
これは、そのまま『東西論』になるお話です。
自身、日々中高齢者に向けて、養生術を伝える状況にある中での想いを書きます。養生術を現代語訳すれば、”健康法”となり、言葉が変わって来ただけと思われますが、考え方・仕方の国内変遷は思想と時代の流れを写すように、大きな変化を見せています。特にこの敗戦~半世紀内の変化は、表題のままの転換でありました。双方の肝である、養生とフィットネス の語源を抜くことは、いわゆる民族の持つ「身体観」を視ることに繋がりますが、その深みは次に譲るとしまして、今回は着眼の特性と差異を診ます。
フィットネス 👉 近代の人体生理論から抽出・細分化された体力要素に対し、各々別々に働きかけ、結果としての新しい自己組織化に導くこと。「量」
養生 👉 科学以前の生命観から見出された、変化・循環・動きの象徴である”呼吸現象”を中核にして、全人の賦活に働きかけること。「質」
上記、私見で表現してみましたが、中らず遠からずかと思われます。更に絞れば、『部分と全体』が最も抽象度の高い診方と言えるでしょう。世は資本主義と相俟って、フィットネス思想が席巻しており、津々浦々・老若男女に至るまで”体脂肪率とBMI”の虜になっている様です。ここに対し是非論など持ち得ませんが、一つ強く想うことがあります。それは、「ヒトの健全と美、強靭を支える要点がこぼれている」の一言です。定量・データ・見える化 一辺倒の感性では仕方のないことかもしれませんが、定性・質・確かに感じられる世界が水面下で支えている事実、しかも本当の肝であることを考えますと、揺り戻しとしてのルネサンスは今ほど相応しいのです。