2020東京パラリンピックとトレーニング可能性

 全世界人口の15%を占める障害者の社会参加の象徴として、もう一つのオリンピック(:パラリンピック)が開催されています。この開催意図は、国際パラリンピック委員会のアンドリュー・パーソンズ会長の開会式挨拶と「We have wings」の言葉に集約されるもので、”ヒトと身体、その可能性”を生々しく実感させてくれる最高機会となっています。歴史的に診れば、社会参加の困難さゆえ、閉ざされた生き方を余儀なくされることであった側面に、機会と可能性の道が拓かれつつある世相が感じられます。また、競技実態や取り組みへのエネルギーを視るにつけ、鬱積された開放性の迫力が露わにされるようです。そしてここから、求められる能力に焦点化するならば、旧来のリハビリテーションからトレーニングへの橋渡しと連関がものの見事に理解されるものであります。その意味で、リハビリテーションの立場であろうと、トレーニングの立場であろうと、決して他山の石とはならず、新規のプロトコル創造の宝庫と視えています。

 ここで視点を健常者トレーニングに据えてみます。対象は、ヒト人間/五体満足/運動適性有/動機豊富 という属性前提での介入になります。当然にあらゆる感覚・機能性が欠損なく動員でき、一体化された身心を状況に投入する、という意味から逸脱することは想定し得ないと思います。この健常・通常領域での関与効果性は、もちろんに疑いようもないことではありますが、異、「研ぎ澄ます、冴え、切れ味、コツ・カン、先取り、対応、即興」等のより高い習熟/パフォーマンス安定を意図した場合、上記の 一体化された身心投入、では済まされないことになってきます。ここで有効に働く工夫として、『獲得と喪失』のキーワードが浮上します。いわゆる、五体満足からの逸脱、というプロトコルになる訳です。具体的に言えば、ある感覚・機能を不全にした状況を創り、そこに於ける対応/適応/解決/可塑/学習 の反応を引き出します。そして、その引き出された反応を持って、再び、一体化へ戻すということです。結果として、扱われた感覚・機能を取り囲む感性が強固に印象付けられ、全体性のレベルが飛躍的に向上するというものです。少なくとも、上記したような高いレベルのパフォーマンス要求に応えるには、非常に効果的と言えるでしょう。精一杯に背伸びした表現をさせてもらうならば、「身体弁証法」と言えるかもしれません。

 このように書けば、一見の新規性を想わせるものでありますが、過去からの人類史では多く散見される方法になっています。また、表題に掲げた、パラリンピック競技者のリハビリテーション・義手義足・車椅子 ⇒ トレーニング を視るにつけ、ここにこそトレーニング発想の源泉有り!と痛感しています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

2 × four =