針灸の謎
科学・エビデンス・AI・データ・合理 等の言葉が独り歩きすればするほどに、同時に未解明領域が相対的に浮かび上がります。この事は、19世紀の学者:デュ ボア レーモン(ドイツ)の云う「七つの謎」を通した、唯物論の立場から推し進められる研究による、われわれの自然に対する認識の究極の限界 との表現に籠められているように思います。今でこそ、当時では想定し得ない知見が多く見出されてはいるものの、その言い当てている深奥は正に的中している様相です。以下に、その記された七つの謎を紹介します。
➊物質と力の本性
❷物質の運動の起源
❸生命の起源
❹生物の合目的性
❺ヒトの単純感覚の起源
❻ヒトの理性と言語の起源
❼ヒトの自由意志の謎
この七つの検証は身に余りますが、それぞれの問題意識は依然と残されたままです。せめてもの解決への進歩方向性こそは、レーモンのままに、脱・唯物論一辺倒でありましょう。以前に書いたところの、『世界経済基盤が、物質世界から知性世界(:イデア)へ転換した』との言葉の意味も、ここに合わせて診えて来ます。では、この眼を身体/医療の領域に遣るとき、いの一番に挙がるのが”針灸術”であります。その起源は、中華の秦・漢時代に編纂されたと言われている「黄帝内経」の素問・霊枢に依拠するものが殆どであり、著者とされている黄帝も、古代の夏/殷/周時代の五帝の一人とはされているものの、その命名は漢代に為されています。内容は、陰陽五行をそのまま身体循環論に応用したもので、原点の「易経」を大いに拡大解釈しています。ここでまず言えることは、易経の漢籍としての信用から診た時、黄帝内経の真偽性はかなり低いと言わざるを得ないのです。その心は、黄帝自体の存在が不確実、漢代における捏造、経絡経穴解釈の過度飛躍、がもたげていることです。最近の古代研究於いて、馬王堆の発掘が進歩させた感が強いですが、残る砦は”秦の始皇帝墓”に期待するばかりです。
針灸論理に関しての重要ポイントは、易の論理を拓いていただければ分かりますが、”星座”とその循環 が発端になっている事実です。古代人は空に展開する規則ある運行循環に意味を見出し、あらゆる領域に応用していったことでありました。故に人体上に写ると診られている経絡経穴は、夜の星空の表象なのです。そして、その巡る媒体は『気エネルギー』そのものである、という解釈です。経絡経穴と気の解明は、上記の唯物論観点から、電気生理学/磁気論/プラセボ 等の視点で取り囲んでいますが、未だに謎のままです。そうは言っても、臨床で現われる効果性は、術が無くならない唯一の理由と言えるでしょう。まとめにはなりませんが、この針灸論に関して以下の問題・意見提起をしたいと思います。
甲)人体上に星座のような点と線の繋がりが、本当に存在するのか?
乙)気は、唯物論で観測出来るのか?
丙)見えないから非科学、と断ずる時代は終焉している。