知的欲求 2

 以下に、国内最高峰の思想家よりいただいた一文をご紹介します。

「世界経済は、物を基盤とする経済から、知識を基盤とする経済へ変容した。」

 この含蓄と確証、そして説得力のある認識エネルギーに触れ、大いに感じている今日この頃です。しかし、海底潮流のベクトルはそうであっても、表層の世相は、AI一途・スマホ脳・活字離れ・ゲーム狂・一発検索・下積みレス等に代表される”ロボット人間”と揶揄されて久しい訳です。確かに、勉強している姿を診ても、”ただの試験対策と暗記”に終始するのが関の山ですから、広く深いリアリティある知的冒険には及びもつかないことになっています。

 では、そこにあるものは何か、と申せば、旧来の好奇心/向学心/探求心に支えられたヒトの知性と感性が、限りなく稀有になりつつある世の中で、逆にその価値と必要性、影響力が過去にないレベルで引きあがっている、という含意で捉えています。確かに言えることは、日本人の学びの質が大幅に劣化してしまったという事実です。この事は、多くの識者も話しますが、個人的には斎藤孝氏に共鳴するところが強くなっています。斎藤氏は、武道上がりという属性と、言語能力への傾倒の意味合いから、いわゆる「本能(身体性)と理性(言語)」の均衡ある感性の持ち主ゆえ、数ある論客の中でも認めている方です。

 ヒトの学習性は、”無限の可能性”と比喩される唯一最高の性質であり、行動力の源泉となる「後天的本能:基礎精神力」を創ります。日本の近代も、「寺子屋と識字率」に依拠していることを想えば、今更でしょう。正に、脚下照顧であります。しかし、その極東島国の文明吸収の姿勢が、大幅に崩れつつある現今の時流下ですら湧き上がる「知的欲求」は、貴重なものと思います。この文章をお読みくださる方は、関心を持っている筈ですから、欲求を満たす一つの方法をお伝えします。それは、まず部分の専門特異領域に拘泥することなく、知の流れを歴史としてストーリーとして捉えようとすることです。最も適するのは、中央公論社の名著シリーズ(世界/日本)に当たり、時代を創った人間像や業績、そして時代性に没入する行為です。特に、世界の名著は全81巻に渡り、名だたる学者群が居並んでいますので、圧倒されること必至ですが、流れを俯瞰するにはこれしかありません。全読破はとてつもない労力ですから、途中下車で構いませんが、インド-中華-ギリシャへの足掛かりは絶対的です。いわゆる、名著に臨むのです。元来の学びも、それらにいそしみ、沁み込ませるという行程を経ており、最も効果的であることは歴史が証明しています。少なくとも、そこには「コスパや一見の合理性」の欠片も存在しませんが、知の発達法則のファーストステージである、「拡大」という現象に直結することになります。知の拡大から得られる眼は、自身の無自覚なる基準を構成し、力強い認識エネルギーに昇華するでしょう。

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