ヒューマニエンス「”ダンス” ヒトはなぜ踊るのか」を視て

 ご存知の方も多いと思います。現在NHKで放送中の科学番組で、ヒトの進化相にまつわる様々な側面をテーマにする内容です。MCの織田裕二さんと、毎回テーマに沿ったゲスト(学者と業界人)陣で構成され、研究知見/データの紹介と解説・論議で進行します。個人的には、自身の興味の的であることも含め、時代性に叶った素晴らしい番組だと感じています。総じて「what is human? 人間学」に属するものです。この視点に立つときには、基盤は歴史性に求められることは必定であり、進化相はまさに歴史眼のど真ん中なのであります。

 琴線に触れるテーマが続く中、「ダンスが取り上げられるのではないだろうか、、、」と不確かな先取りをしていた矢先、ドンピシャでの提示回でありましたので、その想いのままに自身の感慨を書きます。

 ダンスが、文部科学省教材に採用されたことを考えると、一表現運動カテゴリに据えておくわけにもゆかないと思います。しかし、その採用に際しての文科解釈は限りなく脆弱な姿であり、体育教育(:身体教育)のあらためての難しさを捉える時代が到来していると言えるでしょう。「ヒトはなぜ踊るのか」このテーマをどこから掴まえれば逃げられないのか、と問われれば、少なくとも文明以前/以後の線引きはしたいと考えます。言い換えれば、原始と言語社会とも出来ます。前段の原始生活時代(クロマニョン・ネアンデルタール)に於ける生きる衝動としての、同調・共鳴・伝達は、全て身体を介して為されることゆえ、その表象として集団律動:舞踏が慣習化されたことは肯けます。こういった現象の一部を観察しようとすると、人類発生場であるアフリカ大陸に求める以外にはありませんし、そここそ、音符以前の”湧き上がる律動と生命”が残る希少な地域なのであります。生体律動の母こそ、「音素」であるとの認識は、これからの先端研究の仕事になる筈です。現代の競技スポーツ界での、黒人の能力アドバンテージもここに存在すると信じます。後段の言語社会とダンス:舞踊の文化慣習は、原始の属性も残しながら、文明社会での社会性・交流・パフォーマンスに昇華して来たプロセスとして捉えています。この象徴を人類史から抽出するとき、”オペラ バレエ ソシアルダンス”が見出され、同時にコレオグラフィーという視点が形成されました。音楽でいう、演奏家と指揮者の関係に近似するものです。しかしここに於いては、据え付けられた「音律」への拘束と診える部分もあり、言語発生とその運用現象と重なって映っています。いわゆる、「ドレミファ・・・」と「あいうえお」なのです。

 また、中核に坐する普遍現象としてのミラーニューロンは、この文化を語る上での最重要点でありますし、学習を誘発させる、コーチングの好奇心を揺さぶってくれる主役にもなっています。

 ダンス文化への結論など出ることは有り得ない営為ですが、私見として以下の2点に、その可能性を視たいと考えています。

α 音 音楽 言語 ジェスチャー 舞踏 舞踊 ➡ ヒトの運動現象基盤 ★★★絶対律動感★★★ の存在と定義

β 生存圏(地球磁場)の振動への共鳴と生命体

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