マルクス と カメラ技術

一見の妙な取り合わせに映ると思います。

 マルクスはその名の通り、近代思想の3哲に挙げられる哲人であり、思想家であります。ここで申し上げることでもありませんが、「資本論」「唯物弁証法」の始祖で、世界史における”共産主義”の発想基盤となった偉大なる先達です。また、旧来のドイツ観念論世界(プロテスタント世界)に物申したという意味での存在感は、際立っています。この重厚なる思想体系に敬意を表しつつ、以下に、マルクス世界を限りなく平たく表現させていただきます。それは、「ヒトは、心で動き認識で変わると同時に、金と食には命を懸ける生き物である。」という一文であります。いわゆる、モノでも変わる、モノで変わって来た、モノで変わって行く、といったヒトの普遍的属性を論理的に看破した訳です。その真偽を問う、民族的・国家的・思想的な首実験の場、それが共産国家群でありました。過去形を使う意味は、各々で推量していただきたいと思います。

 では、マルクスとカメラ技術がどう関係するのか?

 カメラ技術は、11世紀のオブスクラに始まり、19世紀のダゲレオまでが大枠の歴史であります。庶民レベルまでの利用がなされるようになったのは、19世紀になってからであり、日本にも江戸末期に輸入されています。奇しくも、マルクスの生きた時代(1818年~1883年)と重なります。この技術の歴史と、人間世界に及ぼした影響を、唯物弁証法の眼で覗いて診ると、一体何が浮かび上がるでしょうか? それは、美術界に於ける一大変革であります。カメラ以前では、絵画(特に写実画法)が唯一の記録方法でありましたから、芸術家もそこにレゾンデードルがあったのです。写実性を引き上げる、陰影法や油絵は、その時代の産物であり、ルネサンス絵画の象徴と言えるでしょう。そこに写真が現れた訳ですから、正に激震とも出来る出来事だったはずです。結果的に、近代美術絵画は大きく抽象画(ピカソなどは分かりやすい例)に進むことになりました。カメラというモノが、人間世界に大きく影響した格好の例になのです。今となっては写真どころか、動画が当たり前の時代、表現者としてどこにフォーカスするのか、パフォーマーとしてどう魅せるのか、感性の鋭敏さのみが頼りになっています。

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