続 リズミング

 続きます。

 日本の声明、読経、詩吟、民謡、五七調の文化に、音符と楽譜に支配される西洋音楽が如何にして持ち込まれたのか、かいつまんで診てみましょう。その絶対的な一歩は、明治新政府の施策で作られた「鹿鳴館」でありました。その場はご存知の通り、いわゆるダンスホールであり、明治貴族(爵位連中?)の進歩的社交施設です。鹿鳴館が果たした機能を考えると、①帝国主義への仲間入り象徴 ②舞踏文化の移入 に尽きるでしょう。①の解説は、あまりに膨大ゆえ、ほんの少しにしますが、その実態は ”近代国家間のスパイ合戦に参戦する意思表示” であります。このことと②は表裏でありまして、社交ダンス自体が、”耳打ち交流術” として作られたと言えば、自明と想われます。今でも厳然と残る ”武官と社交マナー教育” に、その足跡は十全に現れています。奇しくも、その付属文化として持ち込まれた、西洋音楽でありました。前回の 滝廉太郎 は、時代の牽引者であり、日本の西洋リズム導入は、ここに始まるのです。

 ここでCA眼を発揮するならば、「音と舞踏(身体)」に焦点化したいと思います。明治以降で、ここを切り開いた先駆者は、大谷武一先生 その人ですが、敢えて市中の 玉置真吉氏 を挙げさせてもらいます。1885年生誕~1970年没で、明治18年という和魂洋才時代の只中にお生まれです。ご存知の方も多いと思いますが、戦前戦中戦後を通して、”日本のダンス王” と呼ばれた方で、多くの書籍を残されています。音楽史のリレー役でもある、山田耕作氏 と交流もあり、今で言う ”リトミック” を創始したダルクローズ世界にも深く関与していました。もうお分かりの通り、音 律動 身体 教育 トレーニング に通底する普遍性を穿った、大事な業績と言える訳です。つくづくに感じられることは、弐もなく扱われる”生体リズム現象”ではありますが、少なくとも、身体ーダンスー音楽ー歴史 を全包括で診ないことには、具体的に語ることもままならないということです。更に蛇足を申せば、玉置真吉氏 は、基盤に剣術修行があったという事実と、その師は 桃井春蔵系譜の中井亀次郎 であります。

 さあ、何を感じ取りましょうか?

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