トレーニング論 5つの視点❹
❹ 基礎体力の軽視
国民体育からスポーツ信仰、そしてパフォーマンス身体の時代を迎えている現代に於いて、その即物的ノウハウ・メソッドに多くの志向が集まることは、ヒトの感性を想うならば至極当然なのかもしれません。何でも直接的に、ひとっ跳びで得られるに越したことはありません。しかし、事の実態がそれとは逆の性質を示しているとするならば、黙っておくこともないでしょう。この現象がパフォーマンス業界で視られるところの、早期の専門化/特異適応・学習過多、といった問題性に繋がっていることは間違い無いと想われます。やや平易に言えば、年齢的に早い時期から専門種目活動のみに傾注しすぎることや、学生・成人期に至っても、種目特性の枠組みを越えた身体性と向き合っていないこと等、です。業界用語?ならば、専門体力/基礎体力とその相関・転移などと記される内容です。このように書くからには、そのバランスが大いに偏っており、そこに起因する問題性が非常に多いという主旨を持っています。問題性とは、マイナス面で言えば、障害発生であり、プラス面で言えば、可能性の低減になるでしょう。いかにも体得したい専門パフォーマンスではありますが、それを左右し水面下で支え続ける基礎能力は、今こそ探求されるべきだと痛感するところです。パフォーマーである前に、動物であり、人間である訳ですから。
ではあらためて、基礎能力(体力含む)を考えるポイントを挙げます。
甲 ヒトの目的へ向けた変化・進歩・発展のリズム運動機構
乙 基礎体力再考 → 体力樹状図(筋力/持久力/瞬発力/柔軟性/巧緻性/敏捷性/平衡性・・・)への疑問
丙 ヒトの基礎能力(体力含む)を考える上での枠組みの拡大