解剖 2

「what is human?」:人間とは何か?人間らしさとは何か?

 あらゆる研究の矛先は、ここに向かっている筈です。それに肉薄し、真理を掴み取ることが人間苦の開放と、更なる繁栄に繋がると信ずるがゆえのことでありましょう。同時に、あくまでも純粋なる動機であり、大義の成立する普遍テーマになっています。我々も、人間の変化/進歩/発展の場に介入したいと、心より望む属性なので、目を背けることは到底出来ません。拙いながらも、取り巻きのようにその淵に立っている、といった現状です。

 その一つの道筋としての『解剖』を、考えています。研究の立ち位置としては、遺伝子情報をミクロとするならば、正にマクロの中心に坐すると思われます。世は、IT化 ミクロ絶賛の時代ですから、アナログは毛嫌いされがちになっていますが、人間の感性が物体や現象の実態を捉えようとするとき、その特性は後者に傾くことを考えるならば、今こそ重要性が見直されるべき手法だと感じています。事実、診て 触れて 嗅いで 初めて感受しうる希少知見は非常に多いのです。百聞は一見に如かず、などと言い古された諺が身に染みることになります。これが医学世界に入れば、”人体解剖”は当たり前ですが、上記のテーマが掲げられた時には、”生物解剖”という枠の拡大が有効?必要?になってきます。魚類・両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類の生体の中に、人間に繋がるどんな因子が保存維持されているのか、また、それらの類とは明らかに違う要素は何なのか?そういった疑問を常時に持ちながら、探求する態度は、コーチングに於いて、最も立ち遅れた領域と言えるでしょう。CAは、その盲点を解消する意図を持っていますので、動物研究という気運を演出して行きます。自身はフラッグシップになるべく、日々に四肢(足)動物の解体解剖に勤しんでいます。過去からの、文献研究と動物生体の外部観察手法を瞬時に凌駕する臨床実感は、本当に筆舌に尽くしがたい、という感慨がはまるものであります。しかしそうは言っても、一般には解剖機会がふんだんにあることでもないので、矛盾するようではありますが、好奇心を頼りにチャンスを探ることなのだと思います。

 ここで、前回にご紹介した獣医学の遠藤秀紀先生の言葉を書きます。

「からだの形は、要素還元に依存してゆくことでは機能性と歴史性の要求に応えることはできないと考えられる。立ち位置をほどほどの還元論にとどめることが、マクロ解剖学の論理構築にとって唯一無二の妥当性を得る道である。」

全くの同感と共鳴であります!

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