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 powered language この造語、一体、何のことやらです。創った当人が込めた含意は、「国語教育を越えた、言語エネルギーの実感と、その運用法」であります。どの言語を用いようとも、日々の人間生活のなかで然したる作為もなく、無自覚に使われるその実態です。そんな当たり前の道具である言語を、今一度見直すとき、その凄さをあらためて再認識出来ると思います。エネルギーと言いましたが、いわゆる”不可視”な状態であり、ニュートン力学では無視されてしまう世界に属します。不可視エネルギーは、様々な性質のものが我々を取り巻きますが、この言語と重力は、最も身近でかつ大きな2大対極エネルギーと言えるでしょう。人間性の頂点にある言語認識、自然現象を形成する始原運動としての回転、は正に対極であります。言語に関して言えば、その生存における重層性は拭えない連関を示しており、近年の研究であらゆる脳機能との関係性が見出されています。

 CAでは、その実感を持つ者として、指導に生かす言語力 を考えて行きます。ここ数年、”言語化の有効性”なる表現が喧伝されていますが、これもそこを見直す良いキッカケになっていると思います。そこへ挑むに当たり、ソシュール チョムスキー に一から入るとなると、重厚に過ぎるゆえ、解釈の援用をしようと思います。

 テーマを考えるに際し、”規準の必要”という視点からお話します。曖昧模糊で、限りない自由度のある自然界で生きるには、オリエンテーションが有効です。右も左も分からない中では、自己の定位もままなりませんから、必然とそれを構築する、求める行為は第一歩になります。その行為は、誕生の初めから起こり、命の終わるその瞬間まで続くものであり、野生状況から論理世界まで共通の衝動と言えます。総じて、認知/認識と言われていますが、ヒトたる由縁の最高峰に来る特性です。

 例えば、乳児の仰臥位での四肢運動は、当初、暴れるだけ暴れることにより、空間を識り、手指関節を感じ、最終的に自身に適切な動作範囲という規準を得て、動作の大きさや頻度も落ち着く、という反応を示します。この第一歩も、存在の規準を捉える大事なプロセスに他なりません。信頼おける規準が形成されれば、そこからのズレが新たなる情報・刺激となり、徐々に感性の幅も深く 大きく変化してゆくのです。この存在のオリエンテーションは、様々なモダリティーに分かれ、数多くありますが、言語はその象徴ということになります。いわゆる認知現象は、知覚 注意 記憶 判断 言語 で構成されており、その最終段階で出現します。規準の運用を可能にする、抽象化されたハンドル などと言えるかもしれません。

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