ゲルマン魂 Ⅱ

民族的な精神防衛機制こそ、ゲルマン魂なるものの実態である。

 この表現を世界史視点で理解しようとするとき、現EU含めた欧州が良く見えてくると思われます。いわゆる、近代スポーツ文化の形成母体はここに存する訳ですから、その背景を捉えるには欠かせない認識であります。古代ローマ時代のゲルマンの姿を映し出している映画があります。ご存知、ラッセル・クロウ主演『グラデュエイター』です。あの映画の中で、ラッセル・クロウの率いるローマ軍団とゲルマン軍が対峙、戦闘するシーンがありますが、正にゲルマンの粗野なイメージが如実に表されていました。あそこに”ゲルマン魂”なる精神性を立ち上げることになった起源があると言えば、分かりやすいかもしれません。

 それが形となったのが、AD843の”東フランク王国”の成立で、ライン川を隔てた攻防の始まりであり、現国境もこの川により隔たれています。”国境”という大陸に生きる性は、日本人には理解不能なことでしょう。ここからゲルマン民族の出自の正当化への努力が始まります。その象徴的な事をいくつか挙げてゆきますが、東フランク王国から続く「神聖ローマ帝国」AD962の成立は代表格と言えます。その心は、過去に縁しえなかったローマを我々が自称し、彼らが国教としたローマ正教を抱く法王から戴冠を受け、古代ローマの系譜はゲルマンこそが引き受ける、という完全なる自作自演の同一視行為に他なりません。涙ぐましいとは思いませんか?この帝国は、1806年までほぼ900年に渡り存在しましたが、それこそ奇跡・不思議な事、と欧州の賢者が自ら評していることなのです。「神聖ローマ帝国が、余命残すぞ摩訶不思議」が意訳されたその内容そのものです。

 そして1806年以降、1871年にビスマルクによるドイツ帝国建国に至るまで、70年も要することになりました。ここでようやっと近代国家の体を為すことが出来る訳ですが、時期的には最も遅い成立なのです。実は先進国家の中で、最‐後進国家というのが実際です。意外に映る方もいることでしょう。なぜか、と申せば、日本でいう戦国時代のような群雄割拠状態が永く続き、民族としてまとまる気運が起き得なかったこと、同時に、それを引き受ける人材輩出に至らなかったこと、が理由に挙げられると思います。思想宗教で言えば、カソリックとプロテスタントの離合集散が大きく暗躍しています。このバラバラの時代にケジメを着けたのは、隣国のフランス革命と、その寵児であるナポレオンの登場です。

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