ゲルマン魂
事の発端は、今更ながらの ”応用科学” ”出先学問” の肩身の狭さ、という常套句です。体育史の前に、歴史がある、のお話です。同様にスポーツ医学の前に、医学があるのです。一見、親子の関係に似たものがあります。この数回に渡ってCAが言おうとすることも、そのままなのですが、であれば歴史を概観しつつも”体育”を診てみようという意図であります。確かに労力は膨大に必要とされますが、認識精度への『肥やし』となるならば、もろともに行こうとする訳です。業界の諸先輩は、この弱点を補うべく、独自性を見出す多くの努力をされて来ていますが、まだまだ時間が必要なようです。このことに関しては、是非に皆さんと議論したいと思う、重要点となっています。
話を戻します。
「何故、体育史にゲルマン魂なのか?」大いに違和感が立ち現れるかもしれません。この心情は、疎外の淵に立ちあがりながらも、左右を大国に挟まれ、何度も往復ビンタを喰って、死線をさまよう経験をした民族にしか理解しえない性質のモノだと思います。少なくとも、天然要害”日本海・太平洋”に守られて来た『大和魂』との差異は歴然です。人間は普遍的属性として、”出自へのコダワリ” を持ちますが、これはその国家規模での象徴と言えます。では、どんなコダワリなのか?それは、『ローマンーシンドローム』に他なりません。話の始まりは、紀元前1世紀、正確にはBC58~51に行われた、古代ローマの執政官筆頭ジュリアスシーザーによるガリア遠征(※ガリアとは、現フランス・ドイツ地域に広がるヨーロッパ大陸の奥部。当時の古代ローマ人が呼称した地域名称)に遡ります。シーザーは、ローマ帝国の版図を最大域にまで拡大し、属州を36にまで増やした偉大なる執政官であり、後の”帝政ローマによるパクスロマーナ”を演出した立役者です。その遠征の記録が、シーザー自身の手になる「ガリア戦記」として残されており、名文としても知られています。シーザーはその中で、ガリア地域、ガリア/ゲルマニア人、はローマに非ず、という表現を残しているのですが、これが現代にまで深々と永長と影響を残し続けて来ています。現ドイツのメルケル首相も、もちろんにその憂き目にいます。地理的境界は、争点の中心、ライン川、です。いわゆるヨーロッパ圏の現国家で、古代ローマに縁していないことが明確に証明されてしまう不幸を、真っ向から引き受けて来たと言えるでしょう。その不幸を、コダワリと言いましたが、フロイト的に言い換えれば”complex”となるでしょう。ドイツの場合はそのcomplexを、精神防衛機制のひとつ「同一視」という対処で埋め合わせようとしています。そういった民族的防衛機制を象徴的に表現した言葉が、まさに「ゲルマン魂」と言えます。