続々 体育論
歴史の話に振れてしまっていますが、避けては通れないことです。旧来より、学術界としての”体育史”は存在して来ています。しかし、そこには大きな弱点が潜んでいることも事実です。領域特化することの難しさ、はこういったことに現れるのだと思います。その心は、hi-story としての鳥瞰視、いわゆる時間と空間、そしてその中で蠢くヒトの動静、を全体として流れとして捉える事の必要性に尽きます。認識土台、と言い換えても良いでしょう。その土台を持ちつつ、ある対象に焦点を当てると、意味することが非常に良く見えてくるのです。大河のごとく流れる歴史から、体育という領域だけを抜き出すことは不可能、と断言します。ある巨大なる歴史家いわく、「体育史なんて無い」との言葉がありましたが、正にそういう事なのだと感じられます。
では何が必要なのか? ギリシャ・ローマ/ガリア/ノルマン/ロシア ⇔ エジプト(アフリカ含)/ペルシャ/インド/中国 ⇔ 日本 を、空間・時間・文化文明・思想宗教・戦争、といった視点で、その相互の繋がりを捉えようとしつつ、対象となる”体育”をあらためて抽出する、このことに尽きるでしょう。土台づくりは、一見膨大に見えますが、決して完成は無いので、同時進行することです。「急がば回れ」はこういう時に使うのかもしれません。
結果として、その時代思想が創る「身体観」が浮かび上がり、ヒトの生活・慣習の中に表出してくるのです。そうしたときに、「体育」なる対象は、ほんの近代に据え付けられた、為政者の市民教育装置の一環、と診えてくるはずです。背景は、産業革命と近代国家成立、マルクスと資本主義により生まれるプロレタリア階級、になってきます。当時の想いは、”優秀なプロレタリア” ”民族意識旺盛な市民養成” ”近代戦争に耐えうる屈強な兵士” ”産めよ増やせよを支える良妻賢母” になること、することが至上命題でありました。その必要性が、教育装置の一般化を成立させる契機となっています。一例を挙げます。体育史では近代体育形成の中心として、ドイツ(グーツムーツなど)を必ず取り上げますが、その理由を考えて見たいと思います。
皆さんも歴史資料を開きながら、是非考えてみてください。世界を席巻したドイツ体操、現代有力なブンデスリーグ、の何故?です。ちなみに、15世紀後半に巻き起こった宗教改革の首謀者はルターですが、彼はドイツ帝国の前身”神聖ローマ帝国”出身です。