続 体育論

ヒトの生活に馬が加わったことは、果たしてどのような変化を引き起こしたのか?

 この前回に出させていただいた質問への答え(推論!?)から入ります。それは、『時間』の観念が芽生えた事、に他なりません。騎乗以前の移動手段は、全て徒歩ですから必要な時間と労力は大差ありませんし、動ける距離もおのずと限界性があります。”道”という漢字を解字しますと、移動する路路に、首を生贄として埋めながら進む、とありますので、如何に活動領域を拡げることが勇気の要ることであったかが垣間見えます。そこにいきなり、車いや新幹線ばりの高速移動手段が出現した訳です。生きる上での、時間の短縮化と空間の膨大な広がり、は、間違いなくヒトの認識を激変させたことでしょう。合わせて、『速度』の登場につながったことなのです。生活はもちろんのこと、その登場がもたらした最大の影響は、戦いの戦術変化に集約することとなりました。結果として、ユーラシア全域が戦いの舞台となっていった歴史が幕を開けます。具体例を示しますと、火薬と重火器への転換以前、クセノフォンからナポレオンまで、の時代は常に主役にいたことになります。ですから、古代からの青年教育・躾の科目には、馬術が必須であり、ギリシャのギムナジウム/中華戦国期の六芸/日本の武芸十八般、など東西問わずの術となっていったのです。現代も残る大陸騎馬民族の文化一大祭典である、「ワールドノマドオリンピック」などは、その象徴だと思います。

 くしくも教育・体育論へ引き戻されました。この馬術などは、体育と時代性の相関、を写す最高の例でしょうし、現代オリンピックの種目として残存している様子は、その意義と価値が大きいことの証明ともなっています。お察しのとおり、国家の成立と覇権争いが人間社会の縮図、となって以降、戦技イコール体育という扱いが常となって行きました。いわゆる、強い兵隊 お産に強い母体 がその揺るがざる目的となった訳です。古代においては、ここに生死と民族国家の延命が掛かりますので、十分な大義が立った訳です。この時代(~中世)では、現代体育とは大きく様相は違ったものの、その機能が果たされていましたし、取り組む動機も鮮明です。ルネサンスを経過し「産業革命」に至ると、更に大きな変革をすることになります。

続 

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