模 臨 倣
耳慣れない言葉ですので、解説からお示しします。
模
オリジナルを下敷きにして、線を描いてゆくこと。
臨
オリジナルを傍に置いて、お手本として写すこと。
倣
オリジナルの作家の作意を理解して、その手法を自分のモノとして描くこと。オーケストラの指揮者が、作曲家の作品を自分の解釈で指揮するに似ている。
もうお分かりだと思います。正に、ヒトの学びのリズム運動であり、その3ステップを乗せた言葉です。上達の仕組みといっても可でしょう。日本で良く耳にする近似表現は、守 破 離 というものがありますが、今回の紹介は別側面からということになります。この言葉の出典は、当然に古代中国の漢籍であり、特に書画文化の興隆の土壌から生まれた言葉です。書聖と云われる、王義之 の活躍した時代(AD4:東晋)に頻用されたことは、想像に難くありません。漢字を伝達ツールから、『美』の世界へ引き上げた時代とも出来るでしょう。また同時に「師に学ぶ」という精神態度は、既に出世の重要件であった筈ですし、その学び方の手法や効果性の論議は盛んに行われていたと想います。教養の誕生 と言っても良いかもしれません。
真似る 模倣 と言ってしまえば慣用句で通り過ぎてしまいそうですが、学習の仕組みをここまで簡潔に教えてくれる言葉も他に無いので、ご紹介しようと考えた次第です。比較的に言いますと、守 破 離 に対して、より認知側面から診た直接表現ですし、現代脳科学で最大発見としての『ミラーニューロン』のリアル、なのだと考えます。近年に於いては、暗黙知(マイケル・ポランニー)といった解釈が一般的です。学ぶ当事者から診れば、学習法則となり、教える人間から考えれば、教育原則、と化します。法則/原則でありますから、領域は問われません。書画に関わらず、身体教育も全くにこの世界になります。身体教育世界に特化し、こういった学び現象の深層への介入視点を提案されている第一人者は、金子明友先生です。金子運動学のお話は重厚に過ぎるので徐々に致しますが、興味を持たれた方は、主著である『わざの伝承』を手に取ってみてください。多くは、自得の美徳 で扱われていることにメスを入れています。何かが拓いてゆくこと、請け合いです。
「日の本に新しきもの無し」との格言から申せば、純粋なる独自創造は有り得ない、という真理を穿っています。また極大視点から診れば、この広大無辺なる宇宙で自在に生きるには 基準 が必要であり、有効である、と言い換えることも出来るでしょう。故に、自身の中に多くの依頼する基準を写し取ること以上の学びは存在しない、と言い切れてしまうのです。その事を、型 として東洋の芸道世界が成立しているのは今更でしょう。ちなみに、武道修養における 模 は、折紙 臨 は、目録 倣 は、皆伝 という別称で呼ばれています。正確なる基準(型)模写から生じてしまう、ズレ。これが創造/オリジナリティ/応用の源泉となります。指導者として考えるならば、その個人や団体へ、どれだけの有効な基準を提供出来るか、に尽きると思います。
では、何を以って基準としますか?
続