『二刀流』ブーム
元来の武蔵”二刀流”が、メジャーリーガー大谷翔平選手の投打双方の活躍を切欠にして、現代に復活したようです。二刀流の実は、左右の手に小太刀を携えることで、自在な両手運用を可能にし、長刀一本の両手拘束限界を破ることにより、槍術に抗する術……に由来しますが、今はそれが拡大解釈され、「同時に2つのテーマに注力し、その交雑する影響性に期待する……」との意味に理解されていると想われます。この言葉の流通と臨床実践を考えるとき、少なくとも”良いブームだな”と感じつつも、以下のことは十分に捉えておきたいことです。
1⃣ 豊かな身体経験を持つ価値
日本の精神文化の現れと見得る、”一意専心”はそのまま、選んだ一つの種目に特化し脇目も振らずに修めること、と言った慣習に繋がったようで、一種の美徳として永く守られて来ています。「継続は力なり」は確かな法則ですから、この美徳は揺らぐものではありません。しかし、いざその目的を考えてみれば、修めた先に体現される達成内容や状態を問うことでありますから、手段選択の柔軟さや工夫は鋭意なされるべきことであります。そこから言えば、旧来の手段にまで及ぶ”頑なさ”は、完全に脱ぎ捨てる時代を迎えたということでしょう。特に、自然に与えられる身体経験が枯渇する現代、その持つ意味と必要も膨らんでいることは違いありません。一転、追従する(して来た?)米国では、次元の差異こそあれ”cross training”や”シーズン制”という言葉と共に、様々なる種目や環境に投じていますし、過去の共産圏に於いても、取り組みの偏りを是正することには、十分に目が配られていたのです。
2⃣ 取り合わせのチョイス感性
では、何でも思い付くままに二刀流したら良いのか?と問われれば、そこには論理の視点が有効かもしれません。いわゆる、「この要素とこの要素が融合したら、何が現れるのだろうか?/あの状態に至るには、何と何を混ぜれば効果的なのだろうか?」といった疑問に対しての考え方、であり、その正体は”学習理論”そのものになります。これらは、効果的二刀流の取り合わせ選定を考えるとき、どうしても必要な視点と言えるでしょう。絶対基準などは見出すことは出来ませんが、その精度を上げることは十分に可能です。学習理論の皮をむけば、姿を現すのが「哲学」そのものです。個人的には、二刀流ブームに起因して、コーチング現場での主役が運動生理学から哲学に移行することを考えています。