ヒューマニエンス「”走る”そして、ヒトとなる」を視て

 出るか、出るか、と予期していたテーマです。

 『born to run』なるキャッチフレーズとともに、世はランニングブームであります。それは、身近でのジョガー/皇居周回シーンから、ランニング専門のメディア、サブスリーというワード、数百キロに渡るウルトラランニング大会等を視るにつけ、その感を強くしています。果たして、この現象に何を診るか、諸説紛々ではありますが、やや引いて云うならば、「人工化・機械化・操作化」からの逃避とバランス衝動と言えるかもしれません。自身も一時、ランニング症候群であった体験もあるゆえ、一部共感する想いです。この”ヒトと走運動”という、交雑極まりない行為と能力が、今回のお題であります。番組内で気になった部分を中心に、以下私見を書きます。

 走ることの不可思議

 遊び行為自体は、動物にもそれらしきものはあるにせよ、走ることを象徴とした運動行為を”趣向/努力/学習/克服”の対象とするのは、正にヒトのみに視られる特徴となっています。ここを説明する一応の方便は、ホイジンガの『投機性』で十分だと思いますが、含めて人間を定義する重要な因子であることには違いありません。この動くことへの誘いは、スポーツ文化の源泉であると同時に、動物(:植物とは違う動く生き物)の機能性そのままでありますから、文明・時代は変われど、消えることのないものでしょう。しかしともすると、このコロナ禍も影響し、不活動に傾く世相の中、現代的な養生観の必要性は大いに高まっていると考えています。

❷ 走る効果

 戦後のフィットネス思想・体力科学の流入により、走運動による効果性は様々に論じられて来ていますが、現代は「脳」への影響がその主たる場になっています。筑波大学征矢先生のお話では脳肥大/海馬活性/記憶/空間認知/学習性/PTSD抗性等が挙げられており、それらの変化を引き出しやすい走り方としての”スローランニング”の提唱に落ち着いていました。積極的に動くことの意味と価値を啓蒙する立場からの提案・報告なので、それなりに聴こえる内容でありましたが、個人的には2つの想いが残りました。1つは、走らされるラットと走りたいヒトの差異は、やはり大きいということ、2つは、何故そうなのか?への具体的論調が全く見えないこと、であります。

❸ 走るようになったサル

 ここでは、足構造の進化/樹上から地上への冒険/狩猟行為と思考/肉食と脳重量 等が論じられました。研究するに当たっては、最も面白く好奇心を掻き立てる領域です。そして、それらの可能性を拓いた中核に”走能力”が嵌まるという訳で、哺乳類ヒト科を紐解こうとするときの常套手段とも言えるでしょう。故に、ヒトの運動性/身体能力といった領域では、欠かせない視点を提供する筈です。しかし同時に考えることが、卵が先か鶏が先か であり、足の進化が先か狩猟が先か 脳の進化が先か思考が先か に戻って行きます。また、走る前の歩き 歩く前の直立 への洞察がより優先する必要性が強く感じられます。

 寿命

 不老長寿は永遠の憧れであり、古代より養生思想の世界が引き受けて来ています。番組でのターゲットは、『ミトコンドリア』とエネルギー代謝でありました。まず言えることは、呼吸と動きは同義であり、その停滞は何にしても”死”を意味することでありましょう。特に細胞内の生化学代謝と、電子作用を司るミトコンドリアの解明は、始まったばかりなのです。少なくとも、生物存在のミクロ性を説明する重要なる場として、益々の注目を浴びることです。

❺ 私見として

 正に好奇心を弄られるテーマであります。走ることを視るに際して、自身の想いを箇条書きで表します。

 ★人類史としての養生文化への回帰・調査

 ★直立性 二足歩行 からの、立/歩/走/跳 能力観察

 ★移動能力としての歩・走が創る空間基準値

 ★『脳を鍛えるには、運動しかない』という事への更なる学際研究

 ★走運動が創るリズムという深奥現象への介入

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