子供の身体能力を磨く視点❷:本論

 続きます。今回は、本論になります。

 世は諸説紛々であり、スポーツ遺伝子 タレント 発育発達 遊び 早期学習と教育 神経系 巧緻性 等、に溢れています。重ねるように、共鳴する部分は多くありながらも、完全なる成長予測などは一切叶わない実態を認めなければならないところだと思います。足元の例として、戦後の日本人平均身長の伸びがそのまま国力の裏返しであることは、生体と環境の関係を証明するものとなっています。この我々日本に起こる現象をどう考えるのか、これこそが遺伝と環境を考える眼前の最大の切欠である筈です。また百歩譲って、サラブレッドに学ぶ遺伝のハイブリッド(交雑・交配力)は間違いなく存在する生物法則でありましょう。

 このテーマを掲げれば、必ず共産圏の過去の取り組みが参照されることになる訳ですが、詳細は敢えて、別の機会にさせていただきます。ただ唯一共有したいことは、”一世紀もの長い人類史を賭した、共同幻想としてのマルクス共産主義” であったという一言です。ここは、スポーツなどは度返しして捉えなくてはならない認識だと思います。

 テーマに戻ります。

 業界を取り巻く様々な外堀を垣間見つつも、自身が添いたい概念は、『磨く:みがく』と『GRIT』になっています。では、何をどのように磨くのか?ここに際しては、進化生物学視点を用いたいのです。動物ヒトの進化重層性を診れば、表層の人間らしさ/ヒト特有の性状ー無自覚に潜む動物性ー存在基盤を成している植物性 の少なくとも3層が見出されます。この3層はそのまま、脳の重層性にも現れており、進化足跡を物語っています。言い方を変えるならば、生きる領域と生かす領域に分けられ、意識と無意識の精神構図にも適用しうる考え方です。故に、その層に合わせて介入することを考えます。また、お分かりのとおり、人間は身体性のみを単離して扱うことは出来ませんので、精神エネルギーを産み育む土台としての身体、そのエネルギーを機能として現す場としての身体、の双方を含意させています。

以下、具体です。

1⃣ 最下層の植物的側面(食と性)への介入 → 消化吸収排泄機能/生殖器の成長と性エネルギーのコントロール

2⃣ 2層目に被る動物的側面(呼吸と動き)への介入 → 脊椎動物としての四肢骨格動員性(四つ足回帰)/呼吸制御能力

3⃣ 3層目に乗るヒト的側面(直立性確保安定と、上肢感性)への介入 → 頭部支持と姿勢、平衡機能/手指の巧緻性

4⃣ 4層目に冠する人間的側面(言語と特異学習)への介入 → 脳の認知・可塑性の賦活と表現力/求める領域への学習適応 

 これらの総体存在が人間ではありますが、個人の抱えるテーマの元凶がどこにあるのか、年代を勘案するとどの介入が適切なのか、それらを見定める視点としての運用には耐えるものと考えています。ここに対し、様々なる方法論が適用されることになりますが、絶対的に言えることは、「基礎力の重要性」です。また、サイバネティクスと測定データ管理の世界より、自然・動物・野生・本能に働きかける効果性は疑いようもないでしょう。

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