オリンピックに診るもの

 コロナ禍での、形式ばかりの2020東京オリンピックを終えて早一週間が経ちました。生涯唯一の自国開催を想えば、”盛会”と出来なかったことは、やはり残念極まりないと感じています。しかし、この一大祭典にせめてものピリオドを打ったことは、各方面への大義名分となったであろうと思います。また、競技実態が、体育からパフォーマンススポーツへ、試合からゲームへ、アマチュアからプロフェッショナルへ、と完全に舵が切られた記念すべき大会であったとも出来、人間社会に於けるレゾンデートルも大きく転換しました。今回は、そのオリンピックのあらためての現代国際社会における意味を診ます。

以下、金メダル獲得数上位8国家のデータです。

1米国394133113
2中国38321888
3日本27141758
4英国22212265
5ROC20282371
6豪州1772246
7オランダ10121436
8フランス10121133

 ここで日本国を見ますと、総数では5番目ですが、金メダル基準ですれば表記のとおり3番目ということになっています。種目によっては、下馬評を裏切る惨敗もありましたので、全てが潜在性のままに出揃えば、更に多くのメダルを獲得しえたかもしれません。では、この数字に何が診えるのでしょうか?視点を国家レベルのマクロに拡げるとき、そのまま「国力」の言葉がスッと浮かび上がって来ます。国力と言えば抽象が過ぎますが、それは、経済・政治・軍事・民度の総合力と言い換えることも出来ます。しかし、オリンピックという国民の身体性を競う側面からすれば、特に軍事/兵力のレベルを表象していると言えるのです。近代オリンピックの開催意義などは、クーベルタン男爵から始まり、第一次世界大戦 → 第三帝国ヒトラー → 東西冷戦 → 冷戦以後の混沌 と、変遷を経ているようでも、その国力/兵力品評会(=国威発揚?)としての意味は、少しも薄らいでいないことであります。その眼で診れば、日本の国力/兵力(自衛隊の能力)は正に脅威として、他国に印象せしめた大会となりました。この評価は当然に今に始まったことでもなく、発端は”日露戦争”とも言える訳ですが、特攻・玉砕、戦後復興、小野田少尉帰国、東日本大震災への対応力含め、『最警戒国家アラート』が再点灯されたことは間違いありません。国際社会などと常時に吹聴される中、オリンピックは、自国の意味を外から再認識する最良機会となっています。

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