ヒューマニエンス「“涙” 秘められた魔法のチカラ」を視て
あたかも定番化してしまった、テレビ番組ヒューマニエンスへの感想投稿ですが、今回も「涙」という注目テーマであったゆえ、吐露せずにはおれない心情を搔き立てられました。以前の当方ブログ内でも涙は取り上げていたところでもあり、その動物的かつ人間的意味に接近することは”what is human?” への探求心を満足させる大事なパーツとして、到底無視できないのです。AIとコスパの時代、ヒューマニズムが枯渇しがちな世相に、涙というインパルスはどんなことを回顧させてくれるのでしょうか……。
今回も、書き留めたいポイントに絞って書いてみます。
α 脳から出る体液 by ヒポクラテス
”脳から出る体液”冒頭のこの表現のなんと秀逸な知性か、と嘆じていたところが、ヒポクラテスのものでありました。現代脳科学の遥か以前である紀元前450年に記述されたとは思われない、達観認識であります。この一文は、ヒトの人間の何たるかを洞察させる力を持っています。今更ではありますが、医学の父/医聖と云われた足跡や、”人類史における知の爆発”の双璧を成すギリシャ哲学、それらを育んだ地中海・エーゲ海に想いを馳せるばかりです。その意味で、ポールモーリアの音律世界に勝るものはないでしょう。あらゆる現象・事象・行為を創る重層性の掘削は、好奇心の第一歩です。続いてのポイントは、そこへの足掛かりになります。
β 進化の足跡 ~生命の重層性~
この視点は、慶応大学医学部坪田一男教授(眼科)の”涙”研究から提供いただいたものです。
涙現象に潜む重層性を診るに、「海水が涙だった!」の一言に全てが集約されています。この事は、涙を構成する三大成分(ムチン/油/血清様水)と、ドライアイ症状への血清点眼の臨床における有効性の2つが説明するものであります。また、機能としての潤い・粘膜洗浄に付加して、眼球への栄養提供という働きが明らかにされたことは、”眼球にとっての血液”との表現の実証になる訳です。こういった医学知見も面白いですが、自身はその進化重層性に眼を奪われています。特に、眼球を持つ海洋生物にとっての涙は海水である、その海洋生物が新たなる生存環境を求めて海を捨てて上陸した時、海水から得ていた恩恵を一部体内に宿して来たものであろう、との診方なのです。これこそ、「ヒトのなかの魚 魚のなかのヒト」の一端に属するものであり、生物と水の関係性を紐解くことに繋がります。しかし、ここで説明できることは、涙腺分泌に於ける基礎分泌/反射分泌だけであります。第三の感情分泌とは如何なることなのでしょうか?
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γ 第三の眼による共感力
手塚治虫さんの作品内に『三つ目がとおる』というものがありますが、正にこの事であります。脳の前頭前野の賦活が、ヒト(※成人)の涙腺における感情分泌を媒介する部位であり、第三の眼と言われる由縁ともなっています。この部位は、非言語コミュニケーションを司り、延いてはヒューマニズムの中核と言える”共感性”の座を形成しているのです。遺伝学的に最も近縁と言われるチンパンジーではありますが、このチンパンジーとも大きく違う、人間らしさを説明する象徴とも出来ると思います。俗表現で申せば、乳幼児時代の自己ストレス伝達としての涙から、成人以降の他者のための共感・創造としての涙への変化こそ、源泉であります。その涙は、抽象力・投企性に裏打ちされ、加齢/経験の深まりとともに質が変わってゆくもので、情け・絆・慮るといった文学世界への門とも言えるでしょう。自身は、投企性にこそ、その実態を診ようとする魂胆を持っています。この特性は少なくとも、理系感性と対極を成す様相を呈します。
δ 魔法のスイッチと脳の呼吸
診れば視るほど、全ては呼吸……は自身の感慨です。その眼で、涙腺の感情分泌を解釈すれば、自律神経の交代劇としての”魔法のスイッチ”に対して、「脳呼吸」現象を提案したいと思います。このことは、分泌時のHR(:心拍数)低下/ACTH(:間脳ホルモン)分泌/★室傍核(:間脳内神経核)賦活、等で説明されます。また、自律神経のスイッチ機能の迅速性(10数秒)がその最も際立つ特長と診られ、導かれるストレス減効果は、睡眠に匹敵すると考えられているようです。こう考えるとき、「泣く」という行為が現今の世知辛い社会を生き抜く生物的材料になるのではないか、とのコメントに納得したことも事実です。ここでの私見は上記したとおりに、脳も呼吸するという解釈と、全ては間脳による無自覚制御(※無意識世界への回帰)になる事実、に集約しています。大脳皮質で語られるヒトを支える深部脳こそ、更に拓かれる領域なのです!!
ε まとめと私見
◎涙腺とトレーナビリティー
番組MC織田裕二さんが、芸歴を重ねる間に即興で泣けるようになった、と話していたとおり、涙腺にはトレーナビリティーが存在します。間脳支配機能への意識関与は難しい中、涙腺は数少ない関与可能機能である訳です。役者や歌手の感性は、感情移入と操作こそでありますから、当然と言えば、当然なのかもしれません。しかし、非言語コミュニケーション手段である涙と、言語行為そのものは対極とも取れますので、油と水にも似た属性のはずです。故に、役者の中でもセリフと涙の一体化は難しい領域と思われますし、名演技と評される理由もそこにあるのでしょう。ここで再び、昭和の歌姫”美空ひばり”の歌う『悲しい酒』をyoutubeで視聴してみてください。この超絶なる技芸に何を感じますか?
◎AI時代の感情表現
AIの創る記号・データ時代は、無味乾燥の感情砂漠の到来を意味します。その反面、ヒトの編む感情こそ、あらゆることを成し遂げる、不可視なる膨大エネルギーであります。現今より未来は、永劫この渦中ではありますが、せめてもの豊かなる感情の醸成と問われたとき、どう考えようとするのでしょうか?