本能力の提唱 3

2に続きます。

 こういったことを取り上げざるを得ない理由は、1で項目を挙げましたように、現代特有の教育論上での課題や頻発する社会問題群に注目するがゆえであります。特に教育面での、思春期感性の平均値として「他人に迷惑を掛けない」が筆頭に来るという変局した民度、過度なる合理・能率性への傾斜が創る冒険心の欠乏、関連した社会面での、ニート・引きこもり・不登校/非行/いじめ 等の増加と悪質化は、その最たるものになっています。これらこそは、文明環境が生み出してしまう歪みなのかもしれませんが、対症療法に終始して見過ごすことは到底出来ません。日本の開国153年を振り返って診ても、教育に於ける「躾 修身 手鎖」の慣習は常でありましたが、今となっては忘却の彼方となっています。そんな人間自体も、このアンバランス状態には不快・違和・ストレスを感ずるようで、自然発生的な反動化現象が日本を始め、世界的に現れています。例としましては、「GO wild」 に代表されるキーワードや書籍の流布、世界的なアドベンチャーレースの開催、サバゲ―ブーム、ゲーム『モンスターハンター』の流行、飽食の対局としてのファスティング術の復古、個人内での希求(理系学者と合気道の融合)等、枚挙に暇はありません。再度に申し上げますが、この現象こそが、理性と本能の重層性を指し示す証拠と出来るのかもしれません。

 では、日本国での元凶を何処に診るのか?一つは、「家(氏/族/群)の崩壊」に求められると考えています。これは、戦後歌謡「リンゴの唄:並木路子」に歌われる心情が代表する、敗戦国の定め、としてのGHQ占領政策が画策した真骨頂とも言えるでしょう。この効果は、徐々に進行中であり、近年の『墓石・墓所放棄』などはそのままの兆候であります。家の崩壊により波及することは、父権の失墜と母親の強化(草食系男子誕生) 中心帰一消失 種族保存動機・行為の低減 等、ヒトが生を克己的に営もうとする遺伝的/民族的起因を失わせることに直結しています。私が、動物の『狩猟』行為を研究する意図は、唯一そこに存在します。逆に、代わって提示された価値基準が、個人生活における『コスパ』であれば正に推してするべしなのであります。この事を教育界で言うならば、”偏差値””能率”志向過多になるのです。更にそこに来て、AI環境の急速進行となれば、どこに根底からの人間力醸成のチャンスが与えられるのでしょうか?

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