ヒューマニエンス「”思春期”リスクテイクの人類戦略」を視て
今回も、注目のNHK番組に被せます。
まさかの柔道古賀稔彦さん死去という悲報を聞きつつの”思春期”テーマだったことも手伝い、ヒトが生きることの「儚さ」を感じずにはいられない心情です。奇しくも、53歳という年齢は2016年に逝かれたラグビー平尾誠二さんと同年齢であったこと、何かの意味が包摂されているのかもしれません。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
人間学に傾倒しようとするとき、「変化」現象探求を中核に据えることは常套手段です。中でも、我々ヒト科の生体変化への好奇心は、全てが集約される場であります。生成化育 生老病死は、定めの生命律動であり、そこへの動機が文明文化創造の原動力となっています。突き動かすエネルギーは、正に”無自覚”に作動し、生きるというよりは、生かされてしまう実態が存在します。そのエネルギー作用の2大ポイントこそ、「食と性」に他なりません。ヒトの思春期こそは、双極を形成する”性”エネルギーの最盛期と出来、立役者は”ホルモン”そのものなのです。故に、その視点から観察するならば、「ヒトの人生は、無自覚に分泌されるホルモン代謝のリズムに羽交い締めにされている」と言えます。この現象により演出されてしまう、人生の律動運動を大局で診ようとする営為こそ、中華思想の奥之院「易経」なのであります。一般的イメージである、筮竹による占いだけに留まらない、変化探求の動機は、紀元前よりの想いでありました。”40過ぎたら厄年に注意!”といった認識も、ここに背景があるという事実、あらためて確認して欲しいことです。ホルモンを切欠にもう一歩書けば、同様な生命基盤としての”免疫”と自律神経系”が紐づいて来ます。この3極性が、意識無意識で構成される精神性と共に、良くも悪くもヒトを生かし続ける基盤になっています。いわゆる潜在能力の発露は、ここに現れること、指導者が最も感じ取りたい実態なのではないでしょうか。
話を思春期に戻します。個人的には、以下の3点で考えていますので、ご紹介します。
甲)時代性と普遍性
信長:敦盛舞「人間(じんかん)50年、下天のうちにくらぶれば、夢幻のごとくなり、、、」に象徴される、寿命と時代性に写る時間価値と、進化形成より変わることのない遺伝生体リズムは、環境とのせめぎ合いの中で、常に相対的に揺れ動くということです。15歳で男は元服し、女は嫁に行った時代から、20歳成人という現代認識への変化相、無意味に伸びる寿命、女性初潮の早期化、草食と肉食と揶揄される男性等、とても尽くすことの出来ない現象ではあります。ただ言えることは、遺伝と環境というお決まりの言葉に戻らざるを得ない事実です。
乙)冒険心
学習行為の成果は、拡大と収縮の繰り返しの中から見出される、との解釈から捉えれば、人生に於ける生物としての拡大期に、大いなる体験肥大は欠かせない資源となります。故に、思春期に湧き出るホルモンに従う冒険行為は、豊かで力強い生き方の土台を形成するでしょう。しかもその冒険体験は、全人投入こそ効果的であり、身体と精神をともに放り出す、といったことから始まる訳です。社会理性確立の前段階でのフロンティアは、今となっては願ってでも求めるべき価値となっています。少なくとも、スマホゲームへの傾斜には、答えは無いでしょう。
丙)体育復活
元業界人間だから言うことなのかもしれません。乙の冒険心と重なりながら、児童-生徒-学生期(※思春期含む)にどういった身体性を育んでもらうことが、ヒトの仕組みに叶い、時代性にも適用しうる感性に繋がるのか。AI時代全盛だからこそ、重要度が増していると強く感じられています。ビジネス化 プロ化一途の近代スポーツトレーニングとは一線を画す、身体教育は今こそ求められています。批判は大いに引き受ける覚悟で申せば、戸塚ヨットスクールや小野田寛郎さんの業績を垣間見つつ、考えています。是非皆さんにも、アナログ感性の人間的意味へ認識を向けて欲しいのです。それこそが、全能力発揮なのですから。