無意識 無自覚 潜在意識

 斜めに聴こえる方も多い言葉なのかもしれません。日本国内では、何故か、この領域は敬遠されがちで進んで来ています。事実、トンデモ科学と揶揄される能力開発業界宗教界等に押し込められている状況にあります。学術面での歴史を診れば、明治期の福来友吉事件以来、寄らず触らずのような扱いでありながらも、恐山のイタコは現存するという不可思議な様相です。また、日常的に「トラウマ コンプレックス」といったフロイト用語に親しんでいる慣習は拭えないことで、総じて、世界思想潮流には十分に影響されながらも、怖いもの見たさという魂胆は普遍的なのでしょう。個人的には、夏目漱石が書いた、「精神分析じゃ心は書けねえ・・・」とした一文が強く思い出されるものです。

 しかし、顕在・合理・エビデンスとの思想性に浴しながらも、限りないフロイト影響下にある実態には気付かないところなど、これこそ無自覚の生存を感じずにはいられませんし、玉虫色なる”共同幻想”のリアルなのです。以前にもお話しましたが、近代の世界思想を創った3哲(マルクス/ダーウィン/フロイト)の一角を占める、大いなる認識界を形成し、キリスト教のプロパガンダを皮切りにアメリカマーケティングの基盤となった事、足元からしっかりと確認することは有効だと感じています。現今ブームである、コーチング関連のアメリカ心理学は、その全てがそこに依拠していること、そして、背景にあるアメリカと欧州の歴史的関係性に実相が潜んでいること、知らずに使われることもない筈です。

 せめてこの視点を捉えようとする時、心理学や精神分析学だけでは到底に太刀打ち出来ません。当然に生理学 遺伝学 動物学 東洋思想にもその切欠を求めることになりますし、特に、地球磁場や重力との重相関(物理学:量子力学)は、その最底辺にくるでしょう。正に、意識的に生きると言いながらも、無意識に環境に生かされている実態と、それを真向から引き受ける自律神経を発見したいのです。そこには、心理はもちろんのこと、ヒト科ヒト属の身体基盤が露わになって来ますし、現代文明と拘束性の実態が浮かび上がってくること必定です。生きている奇跡と可能性は、皆、潜在化しているのです。この均衡バランス値こそ、「1:9」で現される訳です。

 袂を拡げれば限りなしではありますが、日常をより効果的に生きる術自己(自我、自分ではない)の潜在可能性を絶対/相対に迎え入れる道具こそ、「言語」そのものなのです。素粒子物理学が裏を取りつつある、不可視なる膨大エネルギーを再認識していただきたいと強く感じています。

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