西遊記 から 毛沢東 続

 続きます。

 唐の太宗”李世民”が道教国教化を為した時代、中国仏教はどうであったか、と申しますと、ご存知の菩提達磨はもちろんのこと、教えはインドより伝わっていました。しかし、その伝道状況は不十分であり、解釈は明確さを欠いたものでした。それが定着し得た理由の一つは、土着の道教との類似性が挙げられるかもしれません。事実、相互に影響し合うことが、弁証法的に作用し、「神仙仏教」なる言葉が創り出されています。そこに現れるのが、達磨を経ること100年、玄奘三蔵そのヒトであります。玄奘は、真摯な仏教僧でありましたので、中華における仏教真理の閉塞感を打破すべく、インド仏教の経文を手に入れる旅へ出ることになりました。世は、貞観の治の最中、唐から西方への出国許可は出ませんでしたが、AD629に無断出国という形で出発しました。以降の物語は、多くの文献がありますので、それらを参考になさって欲しいと思います。「大唐西域記」は、本人の紀行文であり、あまりにも有名な記録ですし、国内有力著者を挙げれば、陳舜臣/中野美代子/平岩弓枝 辺りをお薦めします。AD645に唐に帰国した玄奘を待っていたものは、民衆から為政者までも含めた、大歓待でありました。出発時は、罪人覚悟であったものが、帰国時には国賓にまで引きあがっていたことには、本人が最も驚いたのではないでしょうか。文献によると、歓待の度が過ぎ、唐の長安の街に入るまで、押すな押すなの騒ぎに巻き込まれ、李世民に会うまで数日かかったと記録されています。その後は、李世民の庇護の元、大慈恩寺を与えられ、生涯に渡り、持ち帰った仏典翻訳に捧げたのであります。李世民自身、玄奘三蔵により持ち来たされた新しい仏教真理(真言密教等)を、自らの治世に利用したことは言うまでもありません。そして、皆さんに捉えていただきたいところは、国教としての道教と、教義の似た真言密教の融合化という中華思想の変遷なのです。それは、当然に精神性・身体性を包摂するものですから、特徴的な実態を形成してゆくことになりました。象徴が、気功 太極拳 養生 武術 呼吸法 禅 といったものが、ない交ぜになっている現象に現れているのです。

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