度量衡

 あまり耳慣れない言葉であります。そのまま三分割すると、度:長さ/量:体積/衡:質量 となり、モノの計測単位であることが分かります。今となっては、言語同様、当たり前に過ぎることなのですが、その形成史を垣間見るにつけ、ヒトの定量感性の基盤が露見することになります。世相は、定量と定性の綱引きになっている中で、今一度、原点を探ることは有効なことだと思います。人類史に於いては、「数」の成り立ちがその最大基盤であります。数こそが、抽象と客観、そして仮説仮定の主役になり、ひいては宇宙現象の人間的解釈を可能にした張本人です。ヒト科の知性を創る双璧と言って、異論は湧かないと思います。特に、数概念の形成でも、インドでの『ゼロ 0 零』の発明は最も大きな影響をもたらしました。現代のコンピューターによる情報処理も当然に、この延長線上にある訳です。インド秒算術と言われるのも、納得でしょう。また、実生活では為政者による租税・通貨・土地制度をはじめとする民衆管理での必要性が、その発展動機でありました。直感的には、年貢米を納める時に役人の言う、「すりきり」という表現が思い浮かぶのは、私だけでしょうか?その民衆支配と管理の視点を拡げてみますと、我が世の全てを牛耳ることの極限は、やはり”時間と空間”を握るですから、暦・年号・時報・籍、になることは自然なのかもしれません。事実、天文学はその中心であったことは言うまでもないと思います。ちなみに、日本の場合、その支配プロセスに「仏教」を利用したことを付け加えておきます。

 歴史話に突っ込んでしまいましたが、現代はそれが世界基準化された”メートル法”に準拠して運用されています。このメートル法は、ご存知の通り、地球サイズでの計測値を元に表しています。数字が創る共通認識の力、十分に感得したいと思います。

 ここで終わっては、コーチングとの連関は見出しにくいのですが、決してそうではありません。数える、測る、といった感性はどこに始まるのか、ここが最も伝えたいことです。削ぎ取った要点を申せば、ヒト身体の 上下肢の指 と 骨の長さ との照合からなのです。故に、「五 5」の概念 や 「尺」の基準が成立してきたことは、理解できると思います。平たく言い換えれば、空間 物体 を把握する資源が身体にに宿ることの再確認とも出来るでしょう。その意味で、環境を蝕知する身体整備の重要性が拓かれて来るのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

three + nineteen =