コトバ の 力

 言い古されて来ている表現かもしれません。それは、宗教的立場からは勿論、最近では、NLP  ペップトーク わざ言語 オノマトペ アファーメーション 等、コーチングにまつわって様々な考え方や方法論があります。また、言語学という膨大なる認識論の世界を考えると、たじろぐ以外にスベを知らないので、謙虚に接したいと想うばかりのテーマです。しかし、抽象化こそ人間現象を説明する有意なる材料であり、かつ、言語作用が大脳から間脳まで深々と影響している事実が見出されて来ている昨今、その人間的意味は今更ながら再考される時代でありましょう。特に、他者を導くコーチングにおいての重要性は、益々に高まっていると想われます。言語は民族性を象徴しており、「言語が違えば精神も違う」わけで、そのまま国家形成とアイデンティティに繋がることゆえ、難しさも大いに孕みます。その意味で言えば、背景の文化性を加味しない安易なる翻訳輸入は、やはり軽率感は否めないと感じています。特に日本人は、歴史的拝外思想のもと、「ヨーロッパ/米国のものは、疑わずに素晴らしい・・・」と感じてしまう慣習が、未だにはびこっている事実は認識しなくてはなりません。

 そんな中、最近の国内での”俳句ブーム”はAIに対極する文化バランサーとしての働きを果たしているようです。メディアの仕掛けた偶然が発端であったとしても、良い揺り戻し現象であります。以降、特に若者の間でどのように扱われてゆくのか、興味の尽きないことです。

 前置きが過ぎましたが、CAとしてお話したいことは、”漢語文化”の底力 であります。自然界や生活における 形態・音 を、共通認識として記号化してきたプロセスとその成果は、実態を診るにつけ圧倒されるばかりです。皆さんにも、漢字の解字辞典 を手に取ることをお薦めします。人類知の深奥に、目から鱗、と相成ること請け合いです。日本の場合は、ここから 平仮名 片仮名 という工夫を加えました。それは、使いやすさ、分かりやすさ、に繋がり、国民の識字率を底上げしたことは間違いありません。また、これに輪を掛けた明治の新しい『日本語』の創造は、苦労の賜物でありますが、我々のオリエンタリズムを無意識に引き上げることになりました。その心は、仏語(フランス語ではない、仏教用語のこと)の斬新なる採用が起因していることであります。

 そういった意味で、日本語の精神性を媒介とした、コーチングにおける「コトバ の 力」を意図しています。以降、具体的にご紹介して行きたいと思います。

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