解剖
最近一般社会で見られる ”解剖ブーム”(錯覚か?)は、AI世界に対する原点回帰衝動なのではないか、と強く思わせるのは、あながち的外れな話でもないでしょう。
焦点を当てた物質・現象の構造や機能実態を識るために、構成要素を解析/分析することは、現代科学の基本姿勢であると思います。そのための様々な解析手法の中でも、生体を対象とした「解剖」は、イタリア:ルネサンスを皮切りに医学の基盤を成して来ています。その事自体は、見たいー知りたいー分かりたい、という知的欲求の矛先が我々の人間身体に向いたときには、当然の行為でありましょう。解剖により拓かれた外科世界が、どれほど多くの人類救済を成しつつあるかを想えば、今更のことと言われるのかもしれません。同時に、分子生物学の時代に古い、と聞こえて来そうですが、丸まま感じて診ることでしか分かり得ないことも多いことを考えると、消えることのない手法であり続けることでしょう。しかし、東洋医学にとっては一大事でありました。元来日本では、医学は『本道』と言われ、内科学と漢方処方が中心であった為、五臓六腑を切り裂くなどということは到底受け入れられませんでした。いわゆる、養生vs蘭学の構図であり、互いが所を得るまでには相当の軋轢が生じています。実話を元にした、黒澤映画「赤ひげ」などは、この時代の様相を如実に写した内容になっていますので、参考にしてみてください。
今回にお話したいのは、そういった流れではなく、CAらしい発想からのことです。それは、人間を知るための人間解剖、ではなく、人間を知るための動物解剖、であります。同じ地球上生物で、人間以外の生物・動物を進化論を基盤にして解剖したとき、そこに類似/関連/差異が厳然として浮かび上がって来ます。結果として、それが、人間を人間たらしめている身体要素を指し示す可能性は高くなるでしょう。その意味で言えば、人間の身体構造・機能へのより深い理解を求めてのことになるのです。この領域での先達は、東大教授の遠藤秀紀先生(獣医学)で、全国動物園の死体解剖をなさっています。その成果は、書籍に多く著されているので、ご紹介しておきます。
続