古武「術」「道」研究の世界 Ⅲ

 今となっては、「武」「兵」「軍」「戦」の詮索した使い分けは、あまり意味を成さないことかもしれません。漢字全般にそうですが、殆どが慣用句、またはほぼ記号としての運用ばかりで、その本来的含意からの崩れは目に余るところも見られます。特に日本人は崩すのが得意とはいえ、漢字は、象形性が力の源泉ですから、せめてその原型認識だけは残したいと望んでいます。しかし現実、言語は”生き物”であり、時代の使い勝手・思想性により、日々どのようにも変化するものでありましょうから、抗うすべはないでしょう。同時に、学者による解釈差もあり、その真意は常に玉虫色とも出来ます。「」を見ても、”戈を止むるを武とする” と ”戈を取り、勇ましく進むことを武とする” の双方が言われています。代表的な日本の漢文学者である、諸橋轍次先生は前者、藤堂明保先生は後者、を取られているようです。このどっち論は永遠ですが、私見としましては、「」のほうが状況に適した漢字ではないかと感じています。解字すると、戈を両手に取った姿、の象形ですから、古代(BC5~3)の戦いを彷彿とさせるものと思います。武術/武道より、「兵法」を推したい理由はここに始まります。上記の4字をその眼で診れば、3つが戈が使われていて、残りの「軍」は、当時の古代戦車(=馬車)による円陣の象形でありますから、戦いの実態が浮かび上がろうというものです。生死を賭した戦いは、当然に恐怖との対峙なので、飛び道具がその基本になることは肯けます。しかも、戈/槍/弓 は世界共通の武器です。その前段で、白打が必須のカリキュラムになることは、人間史を想えば自然のことなのでしょう。くしくも、ギリシャ古代オリンピックの種目群に適合することになります。

 敢えて、「術」と「道」を書いている主旨もここにあります。この両方とも、日常的に使われていますが、ほぼ同義語として扱われているのが実態だと思います。解字すると、共に”みち”という共通した意味を持っており、更にその使い分けが困難になります。唯一、大小 広狭 といった概念の及ぶ大きさで云々することしか無いように想われますが、以下、私見を書きます。

 最も国技に相応しい種目に”柔道”がありますが、この柔道なる用語を初めて用いたヒトをご存知でしょうか?嘉納治五郎と言いたくなるのが通常ですが、実は全く違います。時はAD25~、中華の後漢初代『光武帝』が前漢治世の乱れを改革するに当たり、「吾、天下を理むるにも、亦た柔の道を以て之を行なう。」という言葉を残しています。特に、軍制改革での抵抗に処する姿勢を言ったものであります。含意は、決して無理をしない、との表明であり、今に繋がる柔道にも意味深く繋がっています。この時代の中華は、「易ー道教」真っ盛りですから、その思想が色濃く反映していることは事実です。前段でご紹介している”五禽戯”も、同時代の出典になっています。

 明治日本の学識者は、共通して漢籍に通じていましたので、嘉納先生もここから引用したことはほぼ間違いないと思われます。それまでは”柔術”であった訳ですから、業界とすれば違和感と同時に、学士柔道なる言葉で恰好の嫉妬対象に挙げられたことはご存知の通りです。ここで取り上げたいことは、”術”から”道”への書き換えに他なりません。個人の趣向、時代性が後押ししたにせよ、日本が大陸から輸入した二大思想(易ー道教/仏教)であり、以降の拭い去れない文化浸透度を思うにつけ、「道」が引用されることは至極妥当だと言わざるを得ません。道は、思想信仰に限らず多くの術を包摂していますので、養 武 兵 軍 戦 への影響も非常に大きいです。練習着を無造作に、「道着」と言っている我々を、今一度見直してみませんか?

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